ここから本文

2018年5月25日号 vol.337

2018年は明治改元から150年

おもしろ山口学/激動の幕末期 長州の藩主 毛利敬親

写真:錦絵「温故東(おんこあずま)の花第四篇(へん) 旧諸侯参勤御入府之図」(萩博物館蔵)。毛利敬親の参勤交代行列を描いた錦絵。一に三ツ星の毛利家の家紋が見える。作者は揚州周延(ようしゅう ちかのぶ)

第1回 敬親の人柄と参勤交代弁当

幕末、長州の本藩である萩藩で、13代藩主となったのが毛利敬親でした。
どんなお殿様だったのか、その人柄がしのばれる逸話を紹介します。

山口県立美術館 明治150年記念特別展「激動の幕末長州藩主 毛利敬親」
今年は明治改元から150年。明治維新の達成に大きく貢献した毛利敬親の生涯と事蹟(じせき)を中心に、幕末・明治期の毛利家の活動などを、重要文化財を含む約200点の歴史資料と美術工芸品で紹介します。
期間: 7月13日(金曜日)から8月26日(日曜日)まで
場所:山口県立美術館

歴史探訪「古地図を片手に幕末の山口を歩こう!×毛利敬親の参勤交代弁当を食べよう!!」
山口県立大学と「やまぐち歴食研究会」では、敬親の参勤交代弁当を再現する「毛利公の参勤交代弁当再現プロジェクト」に取り組んでいます。「激動の幕末長州藩主 毛利敬親」展の期間中、そのお弁当を楽しめるイベントが開催されます。申し込み開始は7月初めごろで、詳細は山口市菜香亭(さいこうてい)公式ウエブサイトで後日紹介予定です。
開催日:7月21日(土曜日) ※定員あり。場所:山口市内

激動の幕末の藩主・毛利敬親(もうり たかちか)。長州の本藩である萩藩(※1)の藩主として、藩政改革の断行や有能な人材の育成などによって幾多の難局を乗り越え、明治維新の達成に大きく貢献した人物です。

もともと敬親は、藩主の家督を受け継ぐ家系ではありませんでした。しかし、天保7(1836)年、10代藩主の実子・斉広(なりとう)が、12代藩主となってわずか19日後に亡くなります。まだ後継ぎは決まっておらず、当時は後継ぎがないまま藩主が亡くなれば、お家断絶という時代。重臣たちは幕府に斉広の死を伏せ、敬親を急きょ、斉広の養子として願い出て、天保8(1837)年4月、第13代藩主敬親が誕生します。数え年19歳の時のことでした。

当時の萩藩は、その前年に10代・11代・12代藩主が相次いで亡くなり、自然災害も続き、財政が非常に苦しい状況でした。そうした中で藩主となった敬親は、藩の財政事情を考慮し、藩主として初めて江戸から長州に入る時、本来は華やかな初御国入りの行列を、駕籠(かご)をやめ馬にまたがるなど、前例のない質素なものにしたといいます。

「誠に小さな」敬親のお弁当

藩の負債は、天保9(1838)年には銀9万貫余に達し、敬親は村田清風(むらた せいふう)を抜てきし、藩政改革に着手します。清風の基本方針は、質素倹約や農業重視。敬親は家臣に、高価な絹服はやめて綿服とすること等、質素倹約や経費節減などを命じ、自らも率先して実践。城内に田を作り、田植えなどを行って、農民の苦労も体験しました。

そうした敬親の姿について、明治時代、毛利家編輯(へんしゅう)所の所員となった旧藩士・兼重慎一(かねしげ しんいち)が談話を残しています。「綿服の御沙汰を下されましてからは、御自身も(中略)平素の召物(めしもの)は皆綿服で御すごしになりました」。「日々三度の御食事の御菜迄(まで)も御節倹遊は(ば)されて(中略)一汁一菜位の事になされ其上(そのうえ)は召上らぬと云(い)ふ(う)事になった」。また、酒宴(しゅえん)が行われるときには、敬親自身はお酒を小さなおちょこで一杯程度しか口にせず、それでいて人に飲ませることは好きで「サァ呑(の)め呑めとお勧めなされた」…と。

敬親は参勤交代の際の自身の弁当も質素なものとしました。兼重慎一は次のように語っています。「御道中の御弁当などは誠に小さな入子重(いれこじゅう)(※2)でござりました。其(そ)の重の中に真(まこと)の桃(※3)位の御握飯(おにぎりめし)が五ツ入れて一段は何時(いつ)も椎茸(しいたけ)、凍蒟蒻(しみこんにゃく)(※4)蒲鉾(かまぼこ)(※5)と云ふ位な物て(で)、今一段は奈良漬て(で)此(これ)はおきまりの様に思ひます」。

藩の再建のため、自身の体面や前例にとらわれず、自ら決断し、率先して質素倹約を実践した敬親。ある意味、型破りなお殿様でした。


「やまぐち歴食研究会」が再現した毛利敬親の参勤交代弁当(写真提供ミュージアム・タウン・ヤマグチ実行委員会)の写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

山口県立大学と「やまぐち歴食研究会」が再現した毛利敬親の参勤交代弁当(写真提供ミュージアム・タウン・ヤマグチ実行委員会)。山口県立大学の研究創作活動のひとつ(代表 園田純子(そのだ じゅんこ)准教授)として、平成28年度からやまぐち歴食研究会と共に、参勤交代弁当の再現に取り組んでいる
※写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります。

御握飯(おにぎり)をワカメむすびとして再現する様子(写真提供やまぐち歴食研究会)の写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

再現に当たっては、御握飯、つまりおにぎりを、ワカメむすびとした。萩のワカメむすびは、刻みワカメをまわりにまぶすのが伝統的。凍蒟蒻は生芋蒟蒻を使用。蒲鉾は蒸し蒲鉾として再現した(写真提供やまぐち歴食研究会)
※写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります。

再現の様子(写真提供やまぐち歴食研究会)の写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

再現の様子。質素倹約であっても、手間をかけたかまぼこが藩主の弁当に入っていたことに、料理人の藩主への思いが伝わってくる(写真提供やまぐち歴食研究会)
※写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります。


  • ※1 『山口きらめーる』おもしろ山口学では、本藩を萩藩と表記し、本藩と支藩などを合わせた全体を長州(現在の山口県)と表記しています。本文※1へ戻る
  • ※2 大小が組み合わせになった重箱。本文※2へ戻る
  • ※3 山口県立大学と「やまぐち歴食研究会」による「毛利公の参勤交代弁当プロジェクト」では、ここでいう桃とは現在よく親しまれている大玉の白桃(はくとう)ではなく、それよりもっと小さなハダンキョウ(スモモ)を指すのではないかと考えている。白桃は明治時代に発見された品種。本文※3へ戻る
  • ※4 こんにゃくを寒気にさらして凍らせ、乾燥させたもの。だしが浸(し)み込みやすくなる。本文※4へ戻る
  • ※5 かまぼこは魚のすり身に塩・卵白などを加えて練ったものを板に盛り付け、板の下から熾火(おきび)で焼き抜くなどして作る。もしくは板につけず、蒸して作る。本文※5へ戻る
【参考文献】
兼重慎一「長藩財政史談」『防長史談会雑誌』第32号、1912
小山良昌『幕末の英君 毛利敬親』2012
小山良昌『名君 毛利敬親』2017など

ページの先頭へ戻る



ページの先頭へ