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2018年1月26日号 vol.333

2018年は明治改元から150年

おもしろ山口学/長州人と鉄道 第1回 日本の鉄道の父・井上勝

写真:(左)平成28(2016)年10月14日「鉄道記念日」に、JR萩駅に建立された「井上勝志気(しき)像」。留学中に撮影された、スコップに足をかけたシャツ姿の写真がモチーフ。制作は彫刻家の江里敏明(えり としあき)さん。(右)「東京品川鉄道発車之図」(萩博物館蔵)

長州人と鉄道 第1回 日本の鉄道の父・井上勝

「日本の鉄道の父」井上勝は、幕末にイギリスへ留学した5人の萩藩士、いわゆる「長州五傑」の1人です。今年は勝の英国留学の帰国から150年。勝の生涯を紹介します。

萩博物館 企画展「萩の鉄道ことはじめ」
井上勝をはじめ萩ゆかりの人々が、鉄道を通じて日本の近代化に貢献したことに注目し、萩と鉄道の関わりを紹介。ジオラマ模型の展示や、特製缶バッジが当たるクロスワードパズルなども楽しめます。
開催期間:4月8日(日曜日)まで
場所:萩博物館

昨年12月、JR東京駅に「日本の鉄道の父」井上勝(いのうえ まさる)の銅像が10年ぶりに帰ってきました。銅像は東京駅舎の復元工事に伴って撤去されていたもので、勝の故郷・萩の人々などから熱い声を受けての復活でした(※1)

勝は天保14(1843)年、萩藩士の家に生まれました。文久3(1863)年、伊藤博文(いとう ひろぶみ)らと5人(※2)で英国へ密航。ロンドン大学のウィリアムソン教授の家に下宿し、同大学で学びます。酒と議論が好きで、付いたあだ名は「呑乱(ノムラン)(※3)」。鉱山や鉄道の現場でも研さんを積み、明治元(1868)年に帰国します。

翌年、新政府に登用され、鉄道の起業に関する日英の会見で通訳をしたことが日本の鉄道と関わる第一歩に。鉄道寮の鉱山頭(かみ)・鉄道頭(※4)に任じられ、明治5(1872)年の日本初の鉄道、新橋‐横浜間開通に力を尽くしました。

わが生涯は鉄道を以て始まり、鉄道を以て死すべき

当時、日本の鉄道はお雇い外国人に頼るしかなく、問題が多々起きていました。明治10(1877)年、勝は鉄道局長となると、大阪に日本人技術者を育てる「工技生養成所」を設立。3年後、逢坂山(おうさかやま)トンネル(※5)の難工事も含めて、初めて日本人の独力で京都‐大津間を開通させます。

明治22(1989)年、新橋‐神戸間が開通。翌年、勝は鉄道庁長官となります。その頃、資本家たちから政府へ私鉄建設の願い出が相次ぐようになっていました。勝は「資本家たちは利益だけを目的に私設鉄道を興そうとしている」「幹線は一部の損益にこだわることなく、全体の得失を考え、国家が経営すべき」と資本家たちと激しく対立。ついに明治26(1893)年、退官の道を選びます。その時、鉄道庁の人々からの記念の品のお返しに、勝は留学時の志を想起させるものとして大事にしてきた、英国で撮った作業員姿の自身の写真に文章を添え、印刷して送ります。そこには、志を十分尽くせなかった私の過ちを、諸君は繰り返さないでほしい…と切々たる思いが記されていました。

退官後、勝は輸入に頼ってきた汽車を日本人の手で製造すべく、汽車製造合資会社を起こし、社員らを育てます。やがて明治43(1910)年、鉄道院総裁から欧州の鉄道視察を依頼され、引き受けます。送別の際には社員らの前で涙を流しており、この頃、体調のこともあって、胸に覚悟を秘めていたのかもしれません。南満州鉄道やシベリア鉄道を乗り継ぎ、ロンドンに着くと、感謝を伝えたい、と留学時の恩人ウィリアムソン教授の家を訪ね、未亡人と約40年ぶりの再会を果たします。ところが、視察を経て帰国直前、勝は病に倒れ、そのまま帰らぬ人に。「わが生涯は鉄道を以(もっ)て始まり すでに鉄道を以て老いたり まさに鉄道を以て死すべきのみ(※6)」。生前、常にそう語っていた勝。信念ゆえに人としばしば衝突しながらも、不撓(ふとう)不屈で歩み続けた鉄道一筋の生涯でした。

それから時を経て、一昨年、JR萩駅前に留学時の写真をモデルにした「井上勝志気像」が建立され、昨年は東京駅に勝の銅像が帰還。日本の鉄道の父は、山口や東京から、私たちに「志を」とエールを送り続けています。


『子爵井上勝君小伝』(山口県文書館蔵)より井上勝が英国留学中、作業実習の際に撮った写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

井上勝が英国留学中、作業実習の際に撮った写真。『子爵井上勝君小伝』(山口県文書館蔵)より。勝はこの写真を大事にし、鉄道庁長官を辞すときに印刷し、後進たちへ思いを込めて送った
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萩駅舎の古写真(萩博物館蔵)の写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

萩駅舎の古写真(萩博物館蔵)。井上勝のふるさと萩への鉄道敷設は、勝の死後のこと。萩駅舎は、大正14(1925)年4月の長門三隅‐萩駅間の開通に合わせて建築された
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現在の萩駅の写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

現在の萩駅。鉄道開通時の駅舎の現存例は、全国的に少なく貴重。現在、国の登録有形文化財(建造物)。井上勝に関する資料を展示している
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  • ※1 初代の銅像は東京駅開業に合わせて大正3(1914)年建立。昭和19(1944)年に兵器用の材料として供出。昭和34(1959)年、没後50年を記念して再建。平成19(2007)年、東京駅舎を創建当時に復元する工事に伴い、撤去されていた。本文※1へ戻る
  • ※2 そのほか、後に初代外務大臣となる井上馨(いのうえ かおる)、「日本の造幣の父」遠藤謹助(えんどう きんすけ)、「日本の工学の父」山尾庸三(やまお ようぞう)。本文※2へ戻る
  • ※3 勝もその名を気に入り、ロンドン大学の免状には「ミスター ノムラン」とある。本文※3へ戻る
  • ※4 官設鉄道の管轄機関は、明治3(1870)年設置の鉄道掛(がかり)に始まり、鉄道寮、鉄道局、鉄道庁、鉄道局、帝国鉄道庁、明治41(1908)年設置の鉄道院へと推移。本文※4へ戻る
  • ※5 滋賀県大津市と京都市山科(やましな)区の間にある山を掘削したトンネル。本文※5へ戻る
  • ※6 『子爵井上勝君小伝』による。本文※6へ戻る
【参考文献】
道迫真吾『長州ファイブ物語-工業化に挑んだサムライたち-』2010
日本国有鉄道『日本国有鉄道百年史 通史』1975
三崎重雄『鉄道の父井上勝』1942
村井正利『子爵井上勝君小伝』1915など
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