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2017年12月22日号 vol.332

2018年は明治改元から150年

おもしろ山口学/幕末の長州のお殿様と英国海軍キング提督の饗応

写真:(左)「毛利敬親・元徳父子と英国キング提督」写真(萩博物館蔵)。英国軍艦上で英国側が撮影。(右)防府市で再現に取り組んでいる「日英饗応料理」(防府市おもてなし観光課提供)。「天神鱧(はも)」料理を提供する「はも塾」加盟店メンバーによる平成29年11月試作段階のもの

幕末の長州のお殿様と英国海軍キング提督の饗応

幕末、長州の藩主と英国海軍キング提督らが、三田尻で会見し、日本料理と西洋料理でもてなし合いました。会見にはどんな意義があり、どんな料理が出されたのか、紹介します。

日英饗応料理の再現
防府市明治維新150年推進協議会では、毛利敬親とキング提督らが会見した際の料理を、防府市生活改善実行グループ、はも塾、山口大学の五島淑子(ごとう よしこ)教授らの協力を得て、江戸時代の料理書を参考にしながら、食材の一部や味付けに工夫を加えて現代的に再現する取り組みを進めています。平成30(2018)年には、家庭向けレシピを公開するほか、市内の料理店で料理を楽しめるようにする予定です。
問い合わせ:防府市おもてなし観光課 維新150年事業推進室 電話:0835‐25‐2542

慶応2(1866)年の暮れも押し詰まった12月29日・30日、長州の藩主・毛利敬親(もうり たかちか)と英国海軍キング提督(※1)らが、三田尻(みたじり。現在の防府市)でひそかに会見します。それは幕長戦争が起き、まだ完全には終結していなかった年のことです。

このころ長州は、英国が幕府に加担しないことを望んでいました。そうした中、キング提督から木戸孝允(きど たかよし)に会見の打診があり、藩主世子(せいし)の元徳(もとのり)が会見に応じ、岩国領主・吉川経幹(きっかわ つねまさ)が補佐することに。孝允は、先に藩主父子が英国人を饗応(きょうおう)していた薩摩から接待の実例を教わるなど、会見の成功に向けて尽力します。

28日、4隻の英国軍艦が三田尻に到着。孝允がキング提督に会うと、藩主に会いたい、と懇望(こんもう)されます。藩主は体調が優れないため会えない、と伝えると、キング提督は「はなはだ不平の顔色」に。孝允は藩政府に交渉。話を聞いた藩主は承諾し、急きょ山口から三田尻へ向かいました。

日本料理と西洋料理のフルコースでおもてなし

29日、会見場となった三田尻の有力者(※2)の屋敷にキング提督らがやってきます。孝允をはじめ元徳・経幹が迎え、長州側も英国側もぞうりや靴を履いたまま座敷へ上がり、いすに着席。長州側による饗応が始まり、途中から藩主・敬親も加わりました。

そのときの献立を書いた藩の記録が、山口県文書館に所蔵されています。「吸物 搗白米(つきはくまい) ほつそふ焚(だき)(※3)」「湯引鯛(ゆびきだい)」「焼鳥・さつまいも・にんじん・かぶ・青み 盛合せ」「うさぎ」「大重箱 りんご玉子(※4)・かすてら(※5)きくらげでんぶ・細工かまぼこ・ふじはんぺん(※6)・くるまえび・蓮根(れんこん)・あいぎょふ(※7)・いりこ(※8)・きみおろしかけ(※9)・あわび四角切・竹の子」「大平(おおひら)(※10) しんじょふかまぼこ(※11)」「大硯蓋(おおすずりぶた)(※12) 色々(いろいろ)盛合せ」「茶わんむし(※13)」「大鉢盛 菓子色々」「みかん 九年母(くねんぼ)(※14)」。中には、今では内容が不明なものもありますが、明治維新150年に向けて防府市で料理の再現が進められたところ、手の込んだ、彩りも豊かな食膳だったことが見えてきました。

翌日、藩主父子と経幹はキング提督から軍艦に招かれ、提督の部屋で音楽が奏でられる中、西洋料理のフルコースで歓待されました。藩の記録には次のようにあります。
「豆汁(※15)」「羊肉を小切にして煎(い)りたるもの(※16)」「鶏肉の焼もの(※17)」「炙(あぶり)羊肉(※18)」「丸煎鶏(まるいりどり)」「炙牛肉 但(ただし)冷(※19)」「菜」「豆(※20)」「芋」「砂糖漬にて製したる菓子(※21)」「林檎(りんご)(※22)」「生姜(しょうが)入りプリング(プディング)」「葡萄(ぶどう)入プリング」。

その日、藩主父子と経幹はキング提督や士官らへ、大判・小判、刀など多くの贈り物を届けています。わずか2、3年前には外国と戦い、この時もまだ攘夷(じょうい)を唱える人々がいる中、藩主が急きょ駆け付けるなど、できる限りのもてなしでした。

ところが、キング提督からパークス公使(※23)への手紙によれば、実は英国側の心象はいまひとつで、長州側にはまだ外国人への疑心があると感じたようなのです(※24)。それでもこの後、長州は英国留学経験のある長州人2人(※25)を、兵庫へ向かう英国軍艦に同乗させてもらっています。目的は、京都方面の情報収集や、長州の意図を英国へ伝えるため。饗応が、幕府に対抗する長州と英国との友好を前進させたのは確かでした。


「英国人三田尻渡来一件」(山口県文書館蔵)の写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

「英国人三田尻渡来一件」(山口県文書館蔵)。三田尻での饗応についての藩の記録。この写真は、長州側の料理の献立で、その冒頭部分
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防府市生活改善実行グループの皆さんが再現に取り組んでいる「日英饗応料理」の写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

防府市生活改善実行グループの皆さんが再現に取り組んでいる「日英饗応料理」。平成29年12月段階のもの。左の膳には、搗白米(ごはん)・吸物・さつまいもなどの盛合せ(野菜の炊き合わせ)・湯引鯛など。上の膳には、しんじょふ(しんじょ)かまぼこ、茶わんむし・かすてら・みかん
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防府市生活改善実行グループの皆さんによる日英饗応料理の写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

防府市生活改善実行グループの皆さんによる日英饗応料理。重箱の手前左から、きみおろしかけ・あいぎょふ(アユの甘露煮)・りんご玉子、中段にふじはんぺんと細工かまぼこ、れんこん、きくらげでんぶ、上段にくるまえび・いりこ(ナマコの酢の物)
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  • ※1 英国東洋艦隊の司令官。本文※1へ戻る
  • ※2 貞永隼太(さだなが はやた)。貞永家は代々問屋業で栄えた。隼太は厚狭(あさ)毛利氏に仕えた武士。叔父は塩田などを擁した有力商人で、屋敷は海に面し、「東の貞永」といわれた。西隣の隼太の屋敷は広壮な建物で、正門・通用門があり、「西の貞永」といわれた。本文※2へ戻る
  • ※3 雑煮のようなものと考えられている。本文※3へ戻る
  • ※4 防府市の日英饗応料理の取り組みでは、江戸時代の料理書を参考にして、ゆで卵をリンゴの形に丸め、ユズなどの葉を飾ったものとした。本文※4へ戻る
  • ※5 防府市の日英饗応料理の取り組みでは、現在のカステラと異なり、卵・砂糖・小麦粉をすり鉢ですり合わせたものを、鍋に入れて焼き上げたものとした。本文※5へ戻る
  • ※6 防府市の日英饗応料理の取り組みでは、はんぺんを富士山の形に整えたものとした。本文※6へ戻る
  • ※7 アユの料理。防府市の日英饗応料理の取り組みでは、アユの甘露煮とした。本文※7へ戻る
  • ※8 干しナマコ。防府市の日英饗応料理の取り組みでは、生のナマコを用い、酢の物とした。本文※8へ戻る
  • ※9 防府市の日英饗応料理の取り組みでは、大根おろしに卵黄を混ぜたものとした。本文※9へ戻る
  • ※10 平たく、大きな椀(わん)。本文※10へ戻る
  • ※11 タイなどをすりつぶし、塩・水を加え、卵白・ナガイモをすり混ぜ、型に入れて蒸したもの。本文※11へ戻る
  • ※12 口取りざかななどを盛るのに用いた盆状の器。本文※12へ戻る
  • ※13 茶碗に具とだし汁を入れて蒸す料理。防府市の日英饗応料理の取り組みでは、湯葉を使った茶わん蒸しとした。本文※13へ戻る
  • ※14 柑橘(かんきつ)類の一種。防府市の日英饗応料理の取り組みでは、温州ミカンで代用した。本文※14へ戻る
  • ※15 原本の英文メニューによれば、エンドウ豆のスープ。「日英饗応料理の取り組みから-明治維新150年に向けて-」による(以下の料理についての注釈も同様)。本文※15へ戻る
  • ※16 アイリッシュ・シチュー。本文※16へ戻る
  • ※17 チキン・パテ。本文※17へ戻る
  • ※18 ロースト・マトン。本文※18へ戻る
  • ※19 ローストビーフ(冷製)。本文※19へ戻る
  • ※20 白インゲン。本文※20へ戻る
  • ※21 ジャムタルト。本文※21へ戻る
  • ※22 リンゴの砂糖煮。本文※22へ戻る
  • ※23 慶応元(1865)年、第2代駐日英国公使として来日。薩長など雄藩に接近し、幕府支持のフランス公使と対立した。本文※23へ戻る
  • ※24 『慶喜登場 遠い崖‐アーネスト・サトウ日記抄4』より。なお、それまで英国側は鹿児島・宇和島・福岡藩と各城下町で交流し、群衆から歓迎を感じることもあった。一方、長州では藩内の攘夷感情に配慮し、極秘に行った。そうしたことが英国側の心象に影響したと考えられている。本文※24へ戻る
  • ※25 文久3(1863)年、長州から英国へ密航留学した5人のうちの2人、後に初代外務大臣となる井上馨(いのうえ かおる)と、「日本の造幣の父」遠藤謹助(えんどう きんすけ)。本文※25へ戻る
【参考文献】
アーネスト・サトウ『一外交官の見た明治維新(上)』1960
江後迪子『萩藩毛利家の食と暮らし』2005
五島淑子「日英饗応料理の取り組みから-明治維新150年に向けて-」『栄養やまぐち』71 2017
柏村数馬「柏村日記」『山口県史 史料編 幕末維新』4 2010
日本史籍協会編『吉川経幹周旋記』5 1985(1927)
木戸公伝記編纂所『松菊木戸公伝』上 1996(1927)
妻木忠太『木戸松菊公逸事』1984(1932)
徳富猪一郎(蘇峰)『近世日本国民史63(明治天皇御宇史2)新政曙光篇』1963
萩原延壽『慶喜登場 遠い崖‐アーネスト・サトウ日記抄4』 1999
防府市編『続防府市史』1981
防府市明治維新150年推進協議会『幕末激動の防府 熱き志士たちの維新の舞台』2017
横浜開港資料館『図説アーネスト・サトウ 幕末維新のイギリス外交官』2001
三宅紹宣『幕長戦争』2013
毛利家文庫「英国人三田尻渡来一件」(山口県文書館)など
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