ここから本文

2017年9月22日号 vol.329

2018年は明治改元から150年

おもしろ山口学/「日本の時刻表の父」長州人・手塚猛昌

写真:(左)手塚猛昌肖像写真『近代防長人物誌』(マツノ書店発行)より。(右)猛昌が刊行した『日本交通全図 附 世界交通図』と、『汽車汽船旅行案内』第1号(復刻版 あき書房発行) (3冊とも山口県立山口図書館蔵)

「日本の時刻表の父」長州人・手塚猛昌

10月5日は「時刻表記念日」。日本初の本格的な月刊時刻表が発行された日にちなみます。その時刻表の刊行や、帝国劇場の創立にも関わった、幕末生まれの長州人を紹介します。

「古地図を片手に、まちを歩こう。」
古地図リーフレット全28種がセットになったコンプリートボックスの写真
幕末維新やまぐちデスティネーションキャンペーン・明治維新150年特別企画として、県内および島根県益田市の28カ所で「古地図を片手に、まちを歩こう。」が開催されます。参加者には、特典として参加コースの古地図リーフレットをプレゼント! また、スタンプラリーに参加してスタンプを15個以上集めると、古地図リーフレット28種のコンプリートボックスをプレゼント!
萩市須佐では、手塚猛昌の資料を展示している須佐歴史民俗資料館「みこと館」や猛昌の生誕地、禁門の変で自刃した益田氏ゆかりの地を、地元ボランティアガイドの方の案内で歩きます(2名以上で実施、1週間前までに要予約)。

開催日:2018年12月までの毎日

日本初の月刊時刻表を刊行し、「日本の時刻表の父」といわれる手塚猛昌(てづか たけまさ)は、嘉永6(1853)年、萩藩永代家老・益田(ますだ)氏の家臣・岡部家の次男として、須佐(現在の萩市)で生まれました。須佐は江戸時代、益田氏が本拠としたまち。幕末、当主の益田氏が「禁門の変(※1)」の責任を負って自刃したのを機に家臣らが対立し、悲劇的な事件が起きます(※2)。そうした長州の激動期に猛昌は少年時代を過ごし、明治4(1871)年18歳の時、黒川村(現在の萩市福栄(ふくえ))の手塚家の養子に。その後、山口へ出て国典などを学び、神官となります。しかし洋学を学びたいという思いや、生来の向上心が募り、33歳の時、上京して慶應(けいおう)義塾別科(※3)に入学。慶應義塾幼稚舎の漢学教師も勤め、その給与を学資に充てながら学びます。卒業翌年の明治23(1890)年、「庚寅(こういん)新誌社(※4)」を設立。政治雑誌などを刊行します。

そのころ、日本に鉄道の敷設が始まって約20年。定期的に発行される時刻表はなく、猛昌によれば、停車場(駅)で案内書(時刻表)を入手しても、それは数カ月前の汽車の発着時刻であって実際とは異なり、迷惑したといいます。猛昌は鉄道発祥の地・イギリスの状況を調べて月刊の時刻表があることを知り、その刊行を思い立ちます。親戚などからは失敗するといさめられて、幾度も思いとどまったものの、「最初の決心 如何(いか)にしても已(や)み難く(※5)」、遂に覚悟を決め、慶應義塾の元教師で実業家・壮田平五郎(しょうだ へいごろう)(※6)の支援を受けて、明治27(1894)年10月5日、『汽車汽船旅行案内』を刊行します。日本初の月刊時刻表の誕生でした。

当時の大実業家と帝国劇場を創設! 長州出身井上馨の人物伝出版!

汽車汽船旅行案内は月刊であることに加え、名所案内なども載せた画期的なものでした。しかし売れ行きは振るわず、猛昌は「他の会社へ奉公し 夜は帰りて 我社の編輯(へんしゅう)に従事(※7)」する生活を数年間続けます。やがて月刊時刻表は大いに売れるようになり、他の2社からも同様のものが出され、販売競争が激化します。大正4(1915)年、鉄道院運輸局長の仲介によって3社合同の「旅行案内社」が設立され、猛昌が社長に就任。新たに刊行された『公認汽車汽船旅行案内』は、表紙のデザインから「三本松の時刻表」と呼ばれ、旅行者の必需品として永く親しまれるものとなりました。

猛昌の事業は時刻表だけにとどまりません。慶應義塾の恩師・福沢諭吉(ふくざわ ゆきち)の勧めで劇場の建設を企画し、一度は挫折したものの、明治44(1911)年、当時を代表する実業家・渋沢栄一(しぶさわ えいいち)らと共に、日本初の西洋式劇場「帝国劇場(※8)」を竣工させます。明治40(1907)年には、毛利家編輯所の歴史家が書いた、元萩藩士で明治政府の初代外務大臣・井上馨(いのうえ かおる)の伝記(※9)を出版。また、元益田氏家臣が手記を持ち寄って須佐の幕末史をまとめたもの(※10)を、猛昌が仲介して毛利家編輯所へ納めたほか、長州出身で東京在住の歴史家・政治家などによる「防長史談会(※11)」の評議員も務め、故郷との絆を大切にし続けました(※12)

猛昌の死の翌年の昭和8(1933)年、須佐駅‐宇田郷駅(阿武町)間が開通し、山陰本線が全通します(※13)。そして平成23(2011)年、須佐駅前に地域の人々によって「手塚猛昌顕彰之碑」が建立され、猛昌の功績はあらためて注目されるようになりました。


「益田男爵邸(益田館)」の写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

古写真「益田男爵邸(益田館)」(須佐歴史民俗資料館「みこと館」提供)。江戸時代、須佐に置かれた萩藩永代家老・益田氏の館を明治時代以降に写した写真
※写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります。

須佐歴史民俗資料館「みこと館」の写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

益田館の地に現在、須佐歴史民俗資料館「みこと館」がある。民俗資料の展示室や、手塚猛昌や益田氏、回天軍などの歴史資料の展示室がある
※写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります。

「手塚猛昌顕彰之碑」の写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

「手塚猛昌顕彰之碑」。平成23(2011)年10月5日「時刻表の日」、地域の人々によってJR須佐駅前に建立された
※写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります。


『日本交通全図 附 世界交通図』(山口県立山口図書館蔵)の写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

明治37(1904)年刊行『日本交通全図 附 世界交通図』(山口県立山口図書館蔵)。表紙には「手塚猛昌著作」とある。中に、153×272センチメートルの巨大な地図が折り畳まれている。表紙は『汽車汽船旅行案内』のデザインを基本に、蒸気機関車や線路などのイラストを配している
※写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります。

『日本交通全図 附 世界交通図』の日本地図の山口県部分の写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

『日本交通全図 附 世界交通図』の日本地図の山口県部分。山陰本線はまだ記されていない。一方で、航路がよく発達しており、当時の交通網の状況がよく分かる
※写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります。

『防長史談会雑誌』第28号(山口県文書館蔵)の写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

大正3(1914)年9月発行の『防長史談会雑誌』第28号(山口県文書館蔵)。毛利家編輯所の中原邦平らによる明治・大正時代の防長史談会としては最終号。猛昌が社長を務めた「東洋印刷」で印刷している
※写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります。


  • ※1 文久3(1863)年の「8月18日の政変」で京都を追われた萩藩が再起を図り、元治元(1864)年に会津藩、鹿児島藩の兵と京都御所蛤(はまぐり)御門などで起こした戦い。本文※1へ戻る
  • ※2 益田氏家臣で松下村塾(しょうかそんじゅく)出身の大谷樸助(おおたに ぼくすけ)らが、主君の死を悔やみ、保守派の萩藩政府に対して挙兵した諸隊に呼応し、「回天軍」を組織。しかし、保守派の益田氏家臣らによって処刑された。本文※2へ戻る
  • ※3 年を取ってから学ぶ人を対象とした、英語学習のための教育課程。本文※3へ戻る
  • ※4 手塚が社長を務めた東洋印刷で印刷した『慶應義塾出身名流列伝』には、庚寅に「かうえん」とルビがある。本文※4へ戻る
  • ※5 『汽車汽船旅行案内』第100号(明治36年)掲載、猛昌の「第百号の発刊の就(つい)て」による。本文※5へ戻る
  • ※6 三菱財閥の実業家。本文※6へ戻る
  • ※7 『汽車汽船旅行案内』第100号(明治36年)掲載、猛昌の「第百号の発刊の就て」による。本文※7へ戻る
  • ※8 福沢諭吉が勧めたことについては『明治大正史14人物篇』による。本文※8へ戻る
  • ※9 『井上伯伝』。執筆は長州出身の中原邦平(なかはら くにへい)。印刷は猛昌が社長を務めていた東洋印刷。本文※9へ戻る
  • ※10 『回天軍実記』。猛昌がいつ納めたかは不明。現在、山口県文書館蔵。本文※10へ戻る
  • ※11 毛利家編輯所の中原邦平らによる防長史談会では、明治42(1909)年から『防長史談会雑誌』を刊行し、大正3(1914)年に第38号で終刊した。本文※11へ戻る
  • ※12 益田氏が須佐に創設した郷校「育英館」の歴史を受け継ぐ、育英小学校の講堂新築(昭和5年)に際し、猛昌は多額の寄付を行っている。本文※12へ戻る
  • ※13 京都から幡生(はたぶ。下関市)に至る鉄道路線。本文※13へ戻る
【参考文献】
井関九郎『近代防長人物誌 人』1987
慶應義塾史事典編集委員会『慶應義塾史事典』2008
栗山展種「『回天実記』の生い立ちを探る」2007
庚寅新誌社編修部 編『汽車汽船旅行案内』(創刊号復刻)1981
時刻表の父「手塚猛昌」顕彰ブログ
実業之世界社明治大正史刊行会『明治大正史14人物篇』1930
須佐郷土史研究会『温故』第2・3・4・5・6号
須佐歴史民俗資料館「みこと館」展示資料
曽田英夫「時刻表を生んだ進取の魂」『日本経済新聞』2008
波多放彩『福栄村史』1966
広田暢久「毛利家編纂事業史」『文書館研究紀要』3・6・7・8 1975・1979・1980・1981
三田商業研究会 編『慶應義塾出身名流列伝』1909
三宅俊彦編著「別冊付録 解説」『明治大正時刻表』1998
『明治大正時刻表』1998など
おもしろ山口学バックナンバー

ページの先頭へ戻る



ページの先頭へ