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2017年5月26日号 vol.325

2018年は明治改元から150年

おもしろ山口学/外国人が見た攘夷戦争 -萩藩が得ていた幕末の翻訳筆写新聞-

写真:「馬関(ばかん)攘夷戦絵図」(山口県文書館蔵)。その表紙には「文久3年6月朔日(ついたち)、5日 馬関攘夷戦絵図及ヒ下ノ関砲台図 夷船(いせん)図」とある

外国人が見た攘夷戦争 -萩藩が得ていた幕末の翻訳筆写新聞-

幕末、日本の外国人居留地では新聞が発行され、萩藩はその翻訳筆写新聞を入手していました。山口県文書館のアーカイブズウィークで展示される、当時の翻訳筆写新聞を通して、攘夷戦争を紹介します。

山口県文書館「アーカイブズウイーク」
文書記録の重要性などをPRする目的で行われるイベントで、今年は「防長と海」をテーマに開催します。所蔵文書の展示や、歴史小話のほか、「村上水軍」についての広島大学名誉教授岸田裕之先生の講演、書庫見学ツアーなどが行われます。
期間:6月1日(木曜日)から11日(日曜日)まで
場所:山口県文書館、山口県立図書館レクチャールームなど

現代と同様、幕末においても情報の収集は重要で、それに関する貴重な史料が山口県文書館に所蔵されています。それは「新聞紙」と題された、かつて萩藩が入手していた文久3(1863)年から翌年にかけての、さまざまな “翻訳(ほんやく)筆写新聞”です。翻訳筆写新聞とは、黒船来航後、開港した横浜などの外国人居留地で、外国人によって発行された居留地新聞などを幕府の機関が翻訳したもの。これらは貴重な海外情報だったことから、幕府から諸藩へも伝わることになりました。

文久3(1863)年は、萩藩が関門海峡で攘夷(じょうい)戦争を起こした年です。尊王(そんのう)攘夷派の中心となっていた萩藩は、その年、幕府が攘夷開始の日とした5月10日を迎え、関門海峡で潮待ちのため停泊していたアメリカ商船ペンブローク号に対し、藩の軍艦、庚申丸(こうしんまる)・癸亥丸(きがいまる)(※1)などによって夜、奇襲を決行します。続いて藩は、23日にフランス軍艦キャンシャン号を、26日には長崎から横浜へ向かおうとしていたオランダ軍艦メデューサ号を砲撃します。

萩藩が得た翻訳筆写新聞には、その時の砲弾によって、船体に17カ所もの穴が開いたメデューサ号の図を墨で描いたものがあり、図のそばには、メデューサ号が長州下関で砲台より砲弾を受け、本国(オランダ)ヘ申し送ったことを同国(オランダ)新聞紙中に記す、と添えられています。その図は、後にメデューサ号艦長が刊行した航海記(※2)にある図とほぼ一致します。航海記には、長年の友好国・日本から攻撃されるとは思ってもいなかったこと、瀬戸内海へ脱出後、すぐ17カ所の穴の修理にかかったことなどが生々しく記され、翻訳筆写新聞の図が事実であることを裏付けます。

攘夷戦争開始1カ月後のアメリカ・フランスからの報復攻撃

この時点までは勝利に沸いた萩藩ですが、間もなく2度にわたる報復攻撃で圧倒的な敗北を喫します。まず6月1日に、アメリカ軍艦によって壬戌丸(じんじゅつまる)(※3)と庚申丸が撃沈され、癸亥丸は大破し、萩藩の軍艦は壊滅状態に。6月5日には、フランス軍艦2隻の砲撃によって陸上の台場が沈黙。陸戦隊の上陸によって台場は破壊され、前田村(現在の下関市前田)の家々は放火されます。

萩藩は、この時の戦いについて詳細に報じた翻訳筆写新聞も入手していました。そこには、フランス軍が軍艦から砲撃を展開しながら、総勢250人を上陸させて3隊に分れて進むと、砲台のそばで甲冑(かっちゅう)を着た人物が被弾して死亡していたこと、小銃や刀剣を持って林に隠れていた敵兵たちが逃走していったこと、大量の火薬や武器があった大きな寺に放火したことなどがフランス軍の視点で記され、最後には「味方の弾丸が届く距離は敵に勝る事三千ヤード」とあり、軍事力の圧倒的な差が伝わってきます。

この報復攻撃で列強の脅威を実感し、軍備や戦術の近代化を急ぐことになった長州。翻訳筆写新聞からは、激動の時代の緊迫感が国を越えて伝わってきます。


船体に17カ所もの穴が開いたメデューサ号の図の写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

船体に17カ所もの穴が開いたメデューサ号の図。「新聞紙」(山口県文書館蔵)より
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フランス軍艦2隻の報復攻撃を報じた翻訳筆写新聞の写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

フランス軍艦2隻の報復攻撃を報じた翻訳筆写新聞。「新聞紙」(山口県文書館蔵)より
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「丙辰丸之図」の写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

「丙辰(へいしん)丸之図」(山口県文書館蔵)。安政4(1857)年、萩藩が初めて建造した洋式帆船
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  • ※1 庚申丸は、万延元年(1860)年、萩藩が建造した洋式帆船。癸亥丸は、萩藩が文久3(1863)年にイギリスから購入した木造帆船「ランリック」。本文※1へ戻る
  • ※2 カセンブロート艦長による『メデューサ号日本沿岸航海記』。本文※2へ戻る
  • ※3 壬戌丸は、萩藩がイギリスから購入した鉄製蒸気船「ランスフィールド」。本文※3へ戻る
【参考文献】
鹿児島県『鹿児島県史料 玉里島津家史料』2 1993
北根豊編『日本初期新聞全集 編年複製版』2・3 1986
下関市市史編修委員会編『下関市史 藩制-明治前期』1964
下関市市史編修委員会編『下関市史 藩制-市制施行』2009
下関市文書館編『資料 幕末馬関戦争』1971
中本静暁編訳『1863年と1864年におけるメデューサ号艦長の下関戦争 対訳』2016
保谷徹『幕末日本と対外戦争の危機 下関戦争の舞台裏』2010
山口県編『山口県史 史料編 幕末維新』7 2014など
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