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2016年10月28日号 vol.318
おもしろ山口学/国指定重要文化財「山口県旧県庁舎及び県会議事堂」と幻の国会議事堂プラン

写真:羽を広げた優美な鳳凰(ほうおう)のように左右対称形の山口県旧県庁舎(左)と旧県会議事堂(右)

国指定重要文化財「山口県旧県庁舎及び県会議事堂」と幻の国会議事堂プラン

今年は山口県旧県庁舎及び県会議事堂創建100周年です。
幻の国会議事堂設計プランとの関係など、あまり知られていない歴史を紹介します。

山口県旧県庁舎及び県会議事堂
 山口県旧県庁舎及び県会議事堂は現在、山口県政資料館として一般公開されています。
 休館日:月曜日・祝日(ただし5月5日・11月3日は開館)、12月28日から1月4日まで
 問い合わせ:山口県政資料館 電話 083-933-2268

旧県庁舎・旧県会議事堂創建100周年記念事業(第三部)
 景観散策クイズラリー
  開催日時:11月19日(土曜日)13時から16時30分まで
     (無料。イベント当日に受け付け)
  場所:旧県会議事堂議場
  特典:イベント参加者のうち、先着100名様にプレゼント有り
  問い合わせ:山口県都市計画課 電話 083-933-3733
 コスプレ写真撮影会
  開催日時:11月20日(日曜日)10時から20時まで
     (コスプレに参加される方は有料・要申し込み。見学のみの方は無料・申し込み不要)
  場所:旧県庁舎・旧県会議事堂
  問い合わせ:山口県管財課 電話 083-933-2210

明治維新後、山口県政は、幕末、萩藩主によって造られた山口御屋形(おやかた)(※1)を県庁舎としてスタートを切りました。県庁舎はその後、老朽化する中で、下関や防府への移転論が度々沸き起こりますが、県議会は明治44(1911)年、移転ではなく、改築を可決。山口県は、県庁舎および県会議事堂の設計を大蔵省臨時建築部に依頼しました。

その大蔵省臨時建築部で部長を務めていたのが、当時の日本三大建築家の一人ともされる妻木頼黄(つまき よりなか)(※2)でした。このころ日本には、仮の国会議事堂(※3)しかなく、本格的な国会議事堂の建設は建築家たちの悲願で、特に妻木は情熱を注ぎ続けていました。明治27(1894)年の日清戦争時に、臨時の仮議事堂を広島に造ることになった際には、妻木はわずか15日で完成させ、その手腕は高く評価されていました。明治40(1907)年、国会議事堂の建設プロジェクトがようやく始まると、妻木が中心となって設計に着手。ところが明治44(1911)年、緊縮財政などのため、国会議事堂の建設は立ち消えとなり、妻木の渾身(こんしん)の設計プランは幻となります(※4)。まさにそんなころ、妻木に山口県から県庁舎・県会議事堂を設計してほしいという話が持ち込まれたのでした。

100年愛され守られてきた山口県旧県庁舎及び県会議事堂

山口県庁舎・県会議事堂の設計主任となったのは、妻木が国会議事堂設計の若手技師として期待していた武田五一(たけだ ごいち)(※5)と大熊喜邦(おおくま よしくに)(※6)でした。工事は大正2(1913)年から始まり、3年後に落成します。完成した県庁舎・県会議事堂は、共にれんが造2階建て。そこには、柱や天井の装飾など、変化に富んだ細部の独特な表現や日本的な要素など、デザイン上の新たな冒険が取り入れられていました。それらは、武田が留学した欧州で触発された、当時最新のデザイン、アールヌーボー(※7)やセセッション(※8)の影響とみられています。そして、そうした冒険が、威圧感を与えるような西欧の模倣による明治時代の洋風建築から脱皮した、大正デモクラシーの時代ならではの軽やかさをたたえた県庁舎・県会議事堂を誕生させたのでした。

その後、国会議事堂は再び、建設へ向けて動き始め、設計コンペを経て、昭和11(1936)年に完成します。妻木はすでにこの世になく、その国会議事堂を完成させたリーダーこそ、山口県庁舎・県会議事堂の設計者の一人、大熊喜邦でした。

細部まで見つめれば見つめるほど、設計者や携わった人々の思いが伝わってくる山口県旧県庁舎及び県会議事堂。山口県民に100年愛され守られてきた(※9)建物は、妻木たちが近代日本の象徴を目指して情熱を注いだ国会議事堂の幻影も浮かび上がらせてくれます。

旧県庁舎の正面玄関の列柱と知事室の写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

(上)旧県庁舎の正面玄関の独創的なデザインの列柱。和風建築の柱の上部にある肘木(ひじき)のデザインが取り入れられている。
(下)旧県庁舎の知事室
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旧県庁舎玄関ホールの天井と2階ホールの写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

(上)旧県庁舎玄関ホールの天井には紋章をアレンジしたような連続模様がある。彫刻ではなく、版画的な手法を用いたところにセセッションの影響がうかがえる。
(下)旧県庁舎2階ホール。細部にいたる装飾が美しい
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旧県会議事堂の知事応接室と床下の空気抜きグリルの写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

(上)旧県会議事堂の知事応接室。大胆なストライプの壁紙が用いられている。
(下)旧県会議事堂の床下の空気抜きグリル。野花あるいは山口の「Y」「M」「山」「口」を抽象化したようなデザインが印象的
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  • ※1 萩藩は幕末の1863(文久3)年、城を萩から山口(現在山口県庁が建つ地)へ移した。本文※1へ戻る
  • ※2 現在の東京都出身。明治11(1878)年に工部大学校造家学科に入学。中退し、アメリカのコーネル大学に学んだ。官庁建築のスペシャリスト。本文※2へ戻る
  • ※3 政府は明治23(1890)年の議会開設に向けて議事堂の建築を計画したが、間に合わず、木造の仮議事堂として造られたものは明治24(1891)年に焼失。2回目の仮議事堂も焼失。3回目の仮議事堂は昭和11(1936)年まで使用された。本文※3へ戻る
  • ※4 その建築は、大蔵省直轄で進められようとしていたことに対し、東京駅を設計したことで知られる辰野金吾(たつの きんご)や建築学会から激しい反対意見が沸き起こる事態も生じた。本文※4へ戻る
  • ※5 現在の広島県出身。京都大学建築学科の創設者。京都帝国大学本館(現 京都大学百周年時計台記念館)、京都市役所、同志社女子大学ジェームス館などを手掛けた。本文※5へ戻る
  • ※6 現在の東京都出身。富山県庁舎、文部省などの庁舎建築を手掛けた。本文※6へ戻る
  • ※7 19世紀末から20世紀初めにフランスなどで流行した美術様式で、動物・植物の装飾化や自由な曲線が特徴。本文※7へ戻る
  • ※8 19世紀末にオーストリアで若い美術家たちが始めた、過去の様式などからの分離を目指した芸術革新運動。ゼツェシオン、ウィーン分離派ともいう。幾何学的デザインや植物の模様などが見られる。本文※8へ戻る
  • ※9 現在の県庁舎・県会議事堂の建設に当たり、当初取り壊される予定だったが、保存に向けた声が高まり、保存を決定。大正初期のれんが造公共建築として数少ない遺構であり、県庁舎と議事堂が一体となって保存されている点でも貴重。昭和59(1984)年12月、国の重要文化財に指定された。本文※9へ戻る
【参考文献】
長谷川堯『建築の生と死』1978
長谷川堯『日本の建築 明治・大正・昭和4 議事堂への系譜』4 1981
松葉一清『やまぐち建築ノート』2 1979
山口県『山口県旧県庁舎 山口県旧県会議事堂』(パンフレット)
山口県編『山口県史 通史編 近代』 2016
山口県・山口県議会・山口近代建築研究会・NPO法人まちのよそおいネットワーク「旧県庁舎・旧県会議事堂創建100周年記念企画展」展示パネル 2016
山口県文書館 平成28年度第7回資料小展示「100歳になりました。‐重要文化財『旧県庁舎・県会議事堂』のよもやまばなし-」2016 など
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