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2016年2月12日号 vol.308
おもしろ山口学/日本の女子教育に尽力した山口生まれの澤山保羅と成瀬仁蔵

写真:成瀬仁蔵写真と、創立のころの日本女子大学校正門(いずれも日本女子大学成瀬記念館蔵)

後編 日本女子大学の創立者・成瀬仁蔵

NHK連続テレビ小説「あさが来た」の登場人物、成澤泉のモデルとなった成瀬仁蔵(なるせ じんぞう)と、澤山保羅(さわやま ぽうろ)。日本の女子教育に尽力した2人の山口県人をご紹介します。

吉敷村(現在の山口市吉敷)に生まれ、明治11(1878)年に大阪で女子中等教育の梅花女学校(現在の梅花学園)を創立した澤山保羅と、成瀬仁蔵。保羅は新島襄(にいじま じょう)(※1)と親しく、梅花女学校創立と同じ年、襄と共に日本各地に伝道者を派遣する機関を設立します。保羅は病身を押して各地へ赴き、その講演は人々に感銘を与えたといいます。しかし病は進み、明治20(1887)年、満34歳で帰らぬ人となりました。

一方、保羅に多大な影響を受け、梅花女学校で教師として女子教育に携わった仁蔵は、保羅の死去2カ月後、新潟で女学校を開校します。しかし、このころキリスト教系の学校の経営は厳しくなりつつありました。仁蔵は明治23(1890)年、今後の活動の方向を定めるため渡米します。

日本の女子総合大学の先駆け、女子高等教育機関の創立へ

アメリカでは当時、女子大学の設立が進み始めていました。仁蔵は神学校から大学へ進み、女子教育を研究し、社会事業なども幅広く視察。また、女子教育などに尽力した保羅と、保羅に触発されて向上を希求する日本の若い女性たちの熱意をアメリカ人に伝えようと保羅の伝記を英語で出版。保羅と歩んだ日々を振り返ることは、まだ日本になかった女子高等教育機関を作ろうという決意を一層強めるものとなりました。

そして明治27(1894)年、帰国。一時、梅花女学校の校長となりますが、明治29(1896)年、著作『女子教育』を出版すると間もなく辞任。女子大学設立へ向け、奔走していきます。日本では当時、人とは男性を指し、男子には小・中・高等学校・大学が整備される一方、女子には高等教育は無用とする見方があり、明治32(1899)年にようやく女子中等教育の高等女学校令が出るという状況でした。また、政府は良妻賢母を育てる方針をとり、女子中等教育では家事などの教科を重視。そうした中、仁蔵は、『女子教育』で第一に女子を人として教育すること(普通教育の重視)、第二に婦人として教育することなど(※2)を主張し、女性への高等教育の必要性を訴えました。

『女子教育』は、女性実業家の広岡浅子(ひろおか あさこ)(※3)の心をとらえます。男性中心の社会の中で、当時としては珍しい女性実業家として苦労も多かった浅子は、これを読んで涙を流し、女性が自由に活躍できる社会の実現を願い、仁蔵を資金面などで強力に支援します。

また、仁蔵は吉敷村出身で大阪府知事となっていた内海忠海(うつみ ただかつ)(※4)を訪ね、女子大設立の支援を得ます。さらに資金が必要だった仁蔵は山口県出身で当時内閣総理大臣だった伊藤博文(いとう ひろぶみ)に面会して資金援助を取り付けるなど、政財界の有力者から次々と支援を得ていきます。

明治34(1901)年、仁蔵は、日本国内の多くの人々の援助を得て女子総合大学の先駆け「日本女子大学校(現 日本女子大学)」を東京で開校します(※5)。保羅から仁蔵へ。さらには多くの人々の思いが社会を動かし、女子教育の道は開かれたのでした。

澤山保羅生誕地の碑の写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

山口市吉敷にある澤山保羅生誕地の碑
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成瀬公園の碑の写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

山口市吉敷の成瀬仁蔵生家跡に日本女子大学が整備した「成瀬公園」。碑には幕末の萩藩主・毛利敬親(もうり たかちか)の孫・毛利元昭(もとあきら)の名がある
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香雪化学館の写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

萩出身、関西財界で活躍した藤田伝三郎(ふじた でんざぶろう)が日本女子大学に寄贈した香雪化学館(日本女子大学成瀬記念館蔵)
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  • ※1 キリスト教牧師、教育家、同志社大学の創立者。本文※1へ戻る
  • ※2 女子教育の目的の第三は国民として教育することとし、第一・第二・第三の順序を誤ってはならないと『女子教育』で主張した。本文※2へ戻る
  • ※3 京都の豪商・三井家に生まれ、大坂の富豪・加島屋に嫁ぐ。大同生命創業に参画。本文※3へ戻る
  • ※4 明治4(1871)年、岩倉使節団に随行して欧米を視察。兵庫県・長野県・神奈川県・大阪府・京都府の各知事、内務大臣を務めた。本文※4へ戻る
  • ※5 家政・国文・英文の大学部3専攻と附属高等女学校の生徒を募集して開学(合計510人)。なお、前年、英語を中心とする女子英学塾(津田塾大学)、医学を教える東京女医学校(東京女子医科大学)が開校。本文※5へ戻る
【参考文献】
青木生子『いまを生きる成瀬仁蔵-女子教育のパイオニア』2001
茂義樹編『澤山保羅全集』2001
武本喜代蔵『澤山保羅伝』1996
中嶌邦『成瀬仁蔵』2002
日本女子大学総合研究所『日本女子大学総合研究所紀要』1 1998
日本女子大学編『日本女子大学学園事典』2001
日本女子大学公式ウエブサイト
梅花学園公式ウエブサイト など
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