ここから本文

2015年12月25日号 vol.306
おもしろ山口学/楫取素彦と二人の妻 寿と美和

写真:福田会の役員たちと子どもたちの写真。前列中央が安子(毛利博物館蔵)。毛利安子像(毛利博物館蔵)

第9回 毛利家と、素彦・美和夫妻の絆

維新後も親しい関係が続いた毛利家との絆を紹介します。

萩博物館 特設展示「兄松陰と妹文-杉家の家族愛-」
下記の本文で紹介している明治42(1909)年ごろの美和の手紙などを展示。
期間:平成28(2016)年9月4日(日曜日)まで
場所:萩博物館特設展示室

毛利博物館
下記期間中、毛利安子の肖像写真やドレスなど貴重な史料を展示します。
期間:1月1日(金曜日・祝日)から31日(日曜日)まで。2月11日(木曜日)から4月10日(日曜日)まで
場所:毛利博物館

吉田松陰(よしだ しょういん)の妹・文(ふみ)は、夫・久坂玄瑞(くさか げんずい)を「禁門の変」で失った翌年の慶応元(1865)年9月、名を美和(みわ)と改め、毛利元徳(もうり もとのり)夫人・銀姫(ぎんひめ。安子(やすこ))の奥女中となりました。後には、その年2月に生まれていた元徳・銀姫夫妻の嫡男・興丸(おきまる。後の元昭(もとあきら))を世話したともいわれています。

明治4(1871)年、元徳夫妻は山口を離れ、東京へ。そして翌年、東京高輪(たかなわ)に新たに建築された高輪邸(※1)に入り、そこが本邸となります。

美和が毛利家に仕えたのは明治4(1871)年までと考えられていますが、毛利家との絆はその後も続いていくことになります。

孤児救済の慈善事業に共に取り組んだ安子(銀姫)と美和

美和は明治16(1883)年、楫取素彦(かとり もとひこ)と再婚し、その後、東京で暮らします。そのころ東京では、幕末維新の混乱の中で生じた孤児などを救済するため、仏教の諸宗派によって「福田会(ふくでんかい)育児院」が設立されていました。やがて素彦はその役職員の一人に。美和も妻として、活動に関わることとなります。

その活動とは、この育児院への寄付金募集と女性の徳育を進めるため、役職員の妻などによって組織された「恵愛部」の活動です。恵愛部長は、かつて美和が仕え、当時、公爵夫人となっていた安子。安子はさまざまな慈善事業に熱心で、その真摯な姿勢は恵愛部の女性たちに大きな影響を与えたといい、部の発起に関わった美和も幹事の一人として、そんな安子を支えて活動したものと思われます。

当主・元昭の晴れ姿を喜ぶ美和

明治26(1893)年、素彦と美和は東京から防府へ転居します。その住まいは、元徳・安子夫妻の嫡男・元昭が暮らす三田尻邸(※2)のすぐ近く。元昭は、幼いころから体が弱かったようで、オランダ人医師の診断で、気候が体質に向いているとして、主に三田尻邸に明治3(1870)年以降居住したといいます(※3)。素彦・美和夫妻は、結婚後も三田尻邸で暮らしていた元昭夫妻を防府の別荘に招いたり、元昭一家を夕食会に招いたり、見守るかのように親しい日々を送っていきます。

東京の高輪邸では毎年4月、毛利家が山口県出身の政治家や財界人などを招き、華やかな園遊会を行っていました。明治42(1909)年ごろ、その園遊会に招かれて上京した美和が、姪に次のような手紙を送っています。「御殿様(元昭)、御奥様方、(中略)目が覚めるほどお美しい」。このとき元昭は40代で、すでに毛利家当主となって久しく、全国各地の小学校の建築を支援するなど、両親同様さまざまな慈善活動を行っていました。美和は60代。その手紙からは、幼いころ体の弱かった元昭が高輪邸で当主として堂々と振る舞う姿に、母にも似た思いで目を細めるかのような美和の姿が浮かんできます。

三田尻御茶屋の写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

三田尻御茶屋(防府市)。奥座敷は元昭夫妻の生活の場として改築されたもの。近年、当時の華やかな建具・金具などに復元された
※写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります。

毛利博物館・毛利氏庭園の写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

旧 毛利家本邸(防府市)。大正5(1916)年に完成後、元昭夫妻は三田尻邸からここに移った。現 毛利博物館
※写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります。

楫取美和写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

楫取美和写真(萩博物館蔵)
※写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります。


  • ※1 かつて品川駅前にあり、敷地は約1万7千坪。竣工の翌年、天皇・皇后両陛下が行幸され、その目的は国内初の洋館をご覧になるためだったという。高輪邸は現存しない本文※1へ戻る
  • ※2 三田尻御茶屋。かつて藩主の参勤交代の休憩・宿泊などのために建てられたもの。本文※2へ戻る
  • ※3 防府を離れ、東京で学んだ時期もある。後には防府の多々良に建てられた本邸(現 毛利博物館)へ移った。本文※3へ戻る
【参考文献】
NHKなど『2015年NHK大河ドラマ特別展「花燃ゆ」』展示図録2015
公益財団法人毛利報公会『吉田松陰投獄後の松下村塾を託されていた 男爵 楫取素彦の生涯』2012
小山良昌『明治維新後の毛利家 史都萩を愛する会例会講演記録』2009
道迫真吾「大河ドラマ「花燃ゆ」史料探求 杉文の手紙を読む」『萩ネットワーク』121 2015
野口武悟・宇都榮子・菅田理一・土井直子「福田会育児院設立初期の規程・組織等の検討」『専修大学社会科学年報』45 2011
防府市教育委員会『史跡萩往還 三田尻御茶屋保存修理工事報告書』2011
御薗生翁甫『防府市史 続』1960
山口県教育委員会『山口県の近代和風建築 山口県近代和風建築総合調査報告書』2011など
【おすすめリンク】
おもしろ山口学バックナンバー

ページの先頭へ戻る



ページの先頭へ