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2015年12月11日号 vol.305
山口ふるさと大使からの便り

山口県では、県にゆかりのある著名な方に、「山口ふるさと大使」を委嘱し、さまざまな機会を通じて山口県の魅力発信にご協力いただいています。今回は、山口市出身のプロレスラー・大谷晋二郎(おおたに しんじろう)さんにお話を聞きました。

大使プロフィール

大谷晋二郎さんの写真

大谷晋二郎さん

山口市出身。平成4(1992)年、新日本プロレスでデビュー。幾多のタイトルを手にする。
現在は、プロレス団体ZERO1の運営会社の社長やプロレスラーとしてだけでなく、いじめ撲滅のための講演活動等も行っている。

ポーズをとる大谷晋二郎さんの写真

第12回 大谷晋二郎さん

プロレスラーになりたいと思うようになったのは、いつからですか?

大谷さん小学校2年生のとき、テレビでプロレスを初めて見て、アントニオ猪木さんが自分より大きな選手に立ち向かっていく姿を見て、電気が走ったような気がしたんです。カッコイイ‼ 僕はこれをやるんだ! と。それからです。

レスリングの強豪校・山口県鴻城高等学校を卒業後、新日本プロレスで活躍。現在はZERO1の運営会社の社長やプロレスラーとしての活動だけでなく、子どもたちのいじめ撲滅のための講演も学校などで数多くされていますね?

大谷さん何度倒れても立ち上がるプロレスや言葉を通じて「君らもあきらめるな」と伝えたくて、自分の生い立ちを交えて講演しているんです。実は僕もいろんな障害にぶつかってきたんですよ。小学校高学年のときには気管支の原因不明の病気になり、スポーツは一生だめだ、と医者から言われて。でも、悔しいということはなかったです。夢に揺らぎは全くなく、「この障害を乗り越えたらどんなにカッコイイか、僕は一人前のプロレスラーになったら、これをたくさんの人に話すんだ!」と(笑)。

前向きですね!!どうやって乗り越えられたんですか?

大谷さんその病気は中学生のときに半年間休学して治療したところ、少しずつ良くなって、治ったんです。その後、高校へ進学。中学時代は運動がほとんどできなかったので、レスリング部で一番体力がなかったんですが、必死に練習し、キャプテンになりました。でも試合中に腰を骨折。運動は無理だと言われ、それでもまた「乗り越えるぞ」と(笑)。リハビリを懸命にやり、県大会で優勝。日本一を目指し、国体までの3カ月は朝4時に家を出て高校まで2時間かけて走り、一人で自主トレ。するとある朝、先生が先に来られていて「お前、こんなに早く来ていたのか」と。以来毎朝、試合形式の練習に付き合ってくださったんです。ところが国体の日、僕は3回戦で一瞬の隙を突かれ、フォール(※)負け。先生に申し訳なくて号泣でした。すると先生は「よく頑張ったな。周りを見ろ。試合に負けてお前ほど号泣しているやつがいるか」と。それほど一所懸命やってきた、ということなんですね。

  • ※ 相手の両肩をマットに押さえつけること。本文※へ戻る

そんなファイティング精神あふれる大谷さんを育んだ山口県。その魅力って何でしょうか?

大谷さん山口県は帰ると元気をもらえるところなんですよ。僕の名前は高杉晋作(たかすぎ しんさく)の「晋」をとって祖父が付けたものなんですよ!!祖父も父も晋作が大好きで、だから僕も晋作が大好きなんです。


大谷さんのファイティング精神は晋作ゆずりなんですね!!最後にメッセージを。

大谷さん山口県はいつか帰りたい素晴らしいところです。そして子どもたちへ。夢を追い掛けて一所懸命頑張れば逆境は乗り越えられる。支えてくれる人にも出会えます。僕らが学校へ行き、子どもたちと一緒に給食を食べ、掃除をし、試合を見せて僕がやられて倒れると、子どもたちは近付いてきて泣きながら応援してくれたりします。夢に一所懸命な人、人を一所懸命に応援できる人は、いじめを絶対にしません。そんなことをこれからも伝えていきます。そして見終わった人が元気をもらえるプロレスをお見せします。ぜひ試合を見に来てください!!

試合中の大谷さんの写真

試合中の大谷さん


あとがき
「山口県はいつか帰りたい素晴らしいところです。」と故郷への思いを話される大谷さんは、山口県内の学校などで講演会も行っています。絶対に音をあげない熱い魂でさまざまなことに取り組む大谷さんをぜひ皆さんで応援しましょう!

山口ふるさと大使

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