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2015年10月23日号 vol.302
おもしろ山口学/楫取素彦と二人の妻 寿と美和

写真:左は男爵楫取素彦肖像画(群馬県立歴史博物館蔵)。右は楫取寿写真(萩博物館蔵)

第5回 素彦を支えた寿

明治3(1870)年ごろから明治14(1881)年までの楫取素彦を紹介します。

萩博物館 特設展示「兄松陰と妹文-杉家の家族愛-」
吉田松陰(よしだ しょういん)が妹の寿(ひさ)・文(ふみ。後の美和(みわ))らに宛てた和歌を、美和が書き写したものや、松陰の手紙などを展示。
期間:平成28(2016)年9月4日(日曜日)まで
場所:萩博物館特設展示室

長年仕えてきた旧藩主・毛利敬親(もうり たかちか)が世を去り、三隅村二条窪(現在の長門市)で暮らし始めた楫取素彦(かとり もとひこ)と妻・寿(ひさ)。当時、社会は大きく変わり、人々は不安の中にいました。寿は仕事のない若い男子に声を掛け、開墾に従事させ、働くことの尊さを教えます。また、寿は人々を集め、僧侶の話を聞く「無量講」も始めます。世の平和に少しでも寄与したいと考えたのでしょう。

明治5(1872)年、素彦は足柄県(※1)へ出仕することとなり、二条窪を離れます。2年後、養蚕・製糸業が盛んな熊谷県(※2)へ権令(ごんれい)(※3)として転任。素彦はやがて国益重視の立場から、アメリカへ生糸を直輸出する道を開こうと考えた群馬県生まれの新井領一郎(あらい りょういちろう)への資金援助に尽力します。寿は、渡米のあいさつに訪れた領一郎に、兄・吉田松陰(よしだ しょういん)の形見の短刀を託し、こう語ったといいます。「この品には兄の魂が込められているのです。その魂は、兄の夢であった太平洋を越えることによってのみ、安らかに眠ることができるのです」。寿らの思いを受け取った領一郎は後に貿易商として成功します(※4)

素彦は明治9(1876)年8月には群馬県(※5)初代県令(知事)に就任。教育と製糸業に力を入れていきました。

寿との別れ

一方、寿の妹・美和にも大きな変化が生じていました。明治2(1869)年、亡き夫・久坂玄瑞(くさか げんずい)の遺児・秀次郎(ひでじろう)が現れ、藩は玄瑞の子として秀次郎を認知。美和は素彦・寿の次男・久米次郎(くめじろう)(※6)を養子としていましたが、久米次郎は明治12(1879)年、家督を秀次郎に譲り、楫取家に復縁します。

そのころ、病を患っていた寿は療養のため、群馬から、久米次郎が住む東京へ移っていました。病は回復せず、素彦は明治14(1881)年1月、義兄(※7)に「お美和殿に、お寿の看護人、あるいは私の家の女幹事になってもらえると双方幸せではないでしょうか」と手紙を送ります。そこには寿への思いや、姉妹の絆、久米次郎を手放した美和への配慮もうかがえます。

しかし、寿は間もなく亡くなります。5月、素彦は義兄に次のような手紙を送ります。「寿の好きだったものを調理して前橋で法事を催すつもりです。それにしても思い出すことばかり。東京から寿の衣類などを持ち帰りました。中でも臨終まで寿が着ていた衣類は襟垢が付いていて、梅雨に入ると、かびてくるので洗濯しなければなりません。洗えば寿の匂いがなくなるのが誠にくやしく、とにかく涙の種です」。

赤裸々な素彦の手紙。亡き妻への愛があふれていました。

桜楓山荘跡(長門市)の写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

楫取素彦旧宅地「桜楓山荘跡」(長門市)
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三隅山荘(長門市)の写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

素彦と交流のあった萩藩の重臣・村田清風(むらた せいふう)の「三隅山荘」。隣接する村田清風記念館では、特別企画展「楫取素彦と妻・寿展『旅立ちの地』」を開催中で、寿の手紙などを展示(長門市)
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楫取素彦が杉民治に送った手紙の写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

明治14(1881)年1月、楫取素彦が義兄・杉民治(すぎ みんじ)に送った手紙(萩博物館蔵)(部分)。4行目に「女幹事」とある。
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関連リンク
特別企画展「楫取素彦と妻・寿展『旅立ちの地』」
  • ※1 現在の神奈川県西部、静岡県伊豆半島、東京都伊豆諸島。本文※1へ戻る
  • ※2 明治9(1876)年に埼玉県と群馬県に分割された。本文※2へ戻る
  • ※3 県令に次ぐ県の地方長官。本文※3へ戻る
  • ※4 領一郎は、素彦の写真をもとにアメリカで画家に肖像画を描いてもらい、素彦へのお礼とした。それが、この「おもしろ山口学」に掲載している素彦肖像画。本文※4へ戻る
  • ※5 第二次群馬県。このときほぼ現在の形となる。本文※5へ戻る
  • ※6 道明(みちあき)と改名。なお、この回では久米次郎で統一します。本文※6へ戻る
  • ※7 杉梅太郎(すぎ うめたろう)。民治(みんじ)ともいう。松陰・寿・美和ら兄弟の長兄。本文※7へ戻る
【参考文献】
NHKなど『2015年NHK大河ドラマ特別展「花燃ゆ」』展示図録2015
公益財団法人毛利報公会『吉田松陰投獄後の松下村塾を託されていた 男爵 楫取素彦の生涯』2012
道迫真吾『楫取素彦-「至誠」を体現した松陰の盟友-』2014
萩博物館 展示図録『楫取素彦と幕末・明治の群像』2012
広瀬敏子『松陰先生にゆかり深き婦人』1936など

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