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2015年9月25日号 vol.300
おもしろ山口学/楫取素彦と二人の妻 寿と美和

写真:左は男爵楫取素彦肖像画(群馬県立歴史博物館蔵)。右は楫取寿写真(萩博物館蔵)

第3回 幕長戦争と素彦

慶応元(1865)年から慶応2(1866)年6月までの楫取素彦を紹介します。

萩の野山獄に投じられていた楫取素彦(かとり もとひこ)は藩の内戦終結後の慶応元(1865)年2月、無事に出牢。萩藩の藩論は3月、対外的には幕府に恭順するが、内では武備を充実させていくことに統一されました。

そのころ、京都から追放された五人の公卿(※1)は長府(現在の下関市長府)から九州の太宰府へ移っていました。五卿に付き添っていた高知藩出身の志士・中岡慎太郎(なかおか しんたろう)は、当時険悪になっていた薩摩と長州が和解すべきと考え、長府滞在中から長府藩士らと話し合っていました。

5月、藩主の密命を受けた素彦は幕府に見つからぬよう変装し、五卿に会うため長府藩士と太宰府を訪れます。そこで素彦は、慎太郎と同じ高知藩出身の坂本龍馬(さかもと りょうま)に会います。素彦も薩長和解の必要性を認識していたようで、龍馬と話す中、龍馬と木戸孝允(きど たかよし)(※2)の会談話が持ち上がります。素彦はすぐに孝允へ手紙を書き、会見を勧め、これが後に長州の危機を救うことにつながります。

幕長戦争へ。緊迫する情勢の中、素彦は…

一方、幕府方は慶応元(1865)年5月、内戦で状況が変わった長州を討つため、将軍自ら軍を率いて大坂へ入ります。そして取り調べのため長州の支藩主に出頭を命令。しかし、支藩主は出頭を拒絶します。

10月、幕府方が広島で取り調べることとしたため、藩は正使らの派遣を決め、素彦もそれに随行します。広島に着いた一行は幕府方から呼び出されても病気だと伝え、開戦をなんとか引き延ばそうとします。そのうちに素彦が下地を整えた薩長盟約(※3)が京都でひそかに結ばれ、藩は一筋の希望を見出します。

幕府方は開戦を避けるため領地削減などの長州処分案をまとめ、慶応2(1866)年4月、藩主父子らに出頭を命じます。しかし、長州側は開戦を覚悟し、出頭を拒絶。代わりに藩主父子の名代と共に、支藩主の名代として派遣されたのが素彦でした。

広島で素彦らは不審な点があるとして幕府方に捕えられます。死を覚悟した素彦は寿(ひさ)に、松陰の妹として、自分の妻として、恥ずかしくない振る舞いをしてくれよと、覚悟を求める手紙を送ります。元々気丈な寿はその後、家にある鉄を全て軍需のため藩に献上し、人々を鼓舞したといいます。

6月、ついに幕長戦争(※4)が始まります。その初戦で長州軍が勝利。それから間もなく、素彦は停戦を周旋するよう幕府側から要請され、無事解放されました。

木戸孝允肖像写真(山口県立山口博物館蔵)/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

木戸孝允肖像写真(山口県立山口博物館蔵)
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長府の町並み(下関市)の写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

長府の町並み(下関市)
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枕流亭の写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

枕流亭(ちんりゅうてい。山口市)は、志士の集会所で、慶応3(1867)年、薩長連合の協議がなされたところ。香山(こうざん)公園に移築される前は、一の坂川の河畔にあった
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  • ※1 文久3(1863)年の「8月18日の政変」で萩藩と共に京都から追放された七人の公卿のうち五人(三条実美(さんじょう さねとみ)、三条西季知(さんじょうにし すえとも)、四条隆謌(しじょう たかうた)、東久世通禧(ひがしくぜ みちとみ)、壬生基修(みぶ もとなが))。他の一人は離れ、一人は病死。本文※1へ戻る
  • ※2 萩藩士。元治元(1864)年の「禁門の変」後、潜伏していたが、慶応元(1865)年4月に帰藩し、藩政の中枢に参画した。なお桂を木戸と改めたのは同年9月ですが、この回では木戸孝允で統一します。本文※2へ戻る
  • ※3 慶応2(1866)年1月に成立。薩長同盟、薩長連合とも呼ばれ、幕長戦争開戦の場合、薩摩は長州の後方支援を行うといった内容。薩摩は幕府からの出兵要請を拒否した。本文※3へ戻る
  • ※4 長州の4つの国境(くにざかい)周辺で戦われたことから四境(しきょう)戦争とも呼ばれる。本文※4へ戻る
【参考文献】
一坂太郎『楫取素彦と吉田松陰の妹・文』2014
NHKなど『2015年NHK大河ドラマ特別展「花燃ゆ」』展示図録2015
小山良昌「敬親公の懐刀 楫取素彦」『維新史回廊だより』第23号 2015
下関市長府博物館『薩長盟約と下関-長府藩士と龍馬・慎太郎のキセキ』2012
道迫真吾『楫取素彦-「至誠」を体現した松陰の盟友-』2014
広瀬敏子『松陰先生にゆかり深き婦人』1936
山口県文書館 毛利家文庫「楫取素彦談話速記」など
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