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2015年6月26日号 vol.295
やまぐち幕末維新寄り道紀行

誕生地や旧宅地、寺社に石碑に記念館。山口県には、幕末の志士ゆかりの地がたくさん。
歴史好きのあなたに贈る、憧れの聖地から行く寄り道企画!
山口県の日本海側と瀬戸内海側を結ぶ街道の宿場町として栄えた美祢市大田・絵堂(おおだ・えどう)地域。幕末には、高杉晋作ら諸隊が萩政府軍と戦った「大田・絵堂の戦い」の舞台にもなりました。
今回は、6月13日に開催された秋吉台エコツアー「大田・絵堂戦役150周年: 戦場跡を巡る①」に参加しました。ガイドの長登銅山文化交流館館長 池田善文(いけだ よしふみ)さん、美東町文化研究会理事 内田喜美子(うちだ きみこ)さんのご案内で、さぁ、今日も寄り道してみましょう!

エコツアーガイドの長登銅山文化交流館館長 池田善文さんと美東町文化研究会理事 内田喜美子さん
小郡萩道路の大田インターチェンジを降り、絵堂方面へ向かうと、市内を流れる大田川のほとりに、かつて奇兵隊ら諸隊の本陣が置かれた「金麗社(きんれいしゃ)」が見えてきます。 大田・絵堂の戦いで命を落とした諸隊側の隊士をまつる石碑などが並ぶ金麗社。隊士たちは、この地で戦に向けて作戦を立てたり、訓練を重ねたりしていたとのこと。
今年2月には、大田・絵堂の戦い150周年を記念し、金麗社に新たな石碑が建立されました。
石碑には、戦いで命を落とした兵士の名が諸隊と萩政府軍一緒に刻まれています。
ガイドの池田さんによると、歴史のひとこまを語り継ぐことを目的とし、戦いの勝ち負けにかかわらず、日本の将来を思う気持ちを平等に評価して、このような形で建てられることになったそうですよ。
金麗社から県道32号を北へ15分ほど歩くと、大田・絵堂の戦いの激戦地・呑水垰(のみずのたお)にたどり着きます。 この戦いで萩政府軍が使用したのは火縄銃。対する諸隊は、海外から取り寄せたミニエー銃(ライフル銃)で応戦したといわれています。この日は雨が降っており、雨に弱い火縄銃は使い物にならず、萩政府軍は総崩れ。この戦いから3日後、大田・絵堂の戦いは諸隊側の勝利で幕を閉じました。 この戦いで諸隊が銃撃戦のとき盾にしたという土手が、今も現地に残されていました!
大田・絵堂周辺には、ご紹介した他にも、かつての戦いの様子を感じられる史跡がたくさん残されていましたよ!
- 【展覧会情報】「大田・絵堂戦役150周年記念展覧会」
- 美祢市長登銅山文化交流館では、12月6日まで、大田・絵堂の戦いに関連した特別展を開催しています。戦いに使用されたものと同型の銃や、戦場の街道松に打ち込まれた銃弾など、貴重な資料約60点を見ることができます。
- 【取材の途中で面白いものを見つけちゃいました!】「流れ橋」
- 大田川に架かる、少し変わった仕組みの橋です。両岸にひもでくくり付けた木の板を石の台に乗せ、川の真ん中で重ね合わせることで、渡れるようにしてあります。水かさが増すと石から板が浮き上がり、左右に分かれて流れてしまいますが、洪水が治まれば、ひもを手繰り寄せて再び重ね合わせて元通りに!代々地元の方が管理されているようです。 この橋を見るために訪れる方もいらっしゃるとか。
- 【イベント情報】「大田・絵堂戦役150周年: 戦場跡を巡る②」
- 11月14日(土曜日)に、美祢市長登銅山文化交流館を出発点とする大田・絵堂戦役の戦場跡を巡るイベント第2弾(長登・絵堂・赤村方面)が開催されます。
- 【問い合わせ】
- 秋吉台地域エコツーリズム協会事務局
- 電話:
- 0837-63-0055
- 美祢市大田・絵堂エリア
- 所在地:
- 美祢市美東町大田周辺
- (金麗社、呑水垰の激戦地、大田・絵堂戦役の記念碑)
- 美祢市美東町長登(長登銅山文化交流館)
- アクセス:
- 小郡萩道路・大田インターチェンジから北へ約2分
- 関連リンク:
- カルストドットコム(一社)美祢市観光協会

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