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2015年4月24日号 vol.292
やまぐち幕末維新寄り道紀行

誕生地や旧宅地、寺社に石碑に記念館。山口県には、幕末の志士ゆかりの地がたくさん。
歴史好きのあなたに贈る、憧れの聖地から行く寄り道企画!
「男児志を立てて郷関(きょうかん)を出(い)づ」。今も人々に愛唱されるあの詩を詠んだ海防僧・月性(げっしょう)。吉田松陰(よしだ しょういん)や久坂玄瑞(くさか げんずい)に多大な影響を与えた人物です。月性展示館ガイドの中原富喜江(なかはら ふきえ)さんのご案内で、さぁ今日も寄り道してみましょう!

月性展示館ガイドの中原富喜江さん
遠崎村(現在の柳井市)の妙円寺で生まれた月性。海防の重要性をいち早く説いたお坊さんです。二人の叔父が萩の寺の住職を務めていたことから、萩を訪れる機会が多く、松陰の兄・梅太郎(うめたろう)や玄瑞の兄・玄機(げんき)とも親しい仲でした。月性といえば、長い刀を右手に舞う姿が有名ですね。なんでもお酒に酔うと玄機の剣を抜いて舞ったのだとか。なんだか危なっかしい宴会…。その剣舞姿を表すモニュメントが妙円寺の目印になっています。
20歳の頃、長崎でオランダ船を見た経験などから、世界の中の日本を考えるようになった月性。九州での遊学から戻った後も、この国のこれからについて真剣に考え続け、27歳の時には、先生や友を訪ねて京阪地方への旅に出ました。妙円寺の境内には、その出発に際して詠んだ「男児立志の詩」の碑があります。 「志を立てて故郷を出るからには、学が成るまでは帰らない」という決意の詩ですが、実はこの詩には、前半があります。そこには、白髪が目立つようになった母へ、その恩に報いることができず申し訳ないという月性の思いがつづられています。偉業を成し遂げた人の影に、それを支えた人がいることを思い起こさせてくれる一対の詩碑です。
嘉永元(1856)年、月性が32歳の時に開いた私塾「清狂草堂(せいきょうそうどう)」は、「西の松下村塾、東の清狂草堂」と並び称され、多くの門人を輩出し、久坂玄瑞も一時期、ここで学んでいました。月性と松陰との交流は、黒船への乗り込みに失敗した松陰が萩の野山獄にいた頃からだそうです。月性は松陰より13歳年上。松陰は、松下村塾の塾生たちに月性の講演を聴講させたりもしたのだとか。
月性展示館には、月性の略歴や詩稿、使用していた道具、書簡などが展示されています。月性の人物像や、松陰や玄瑞、門人たちとの交流の様子もよくわかります。月性は維新の10年前に亡くなっていますが、影響を受けた多くの者たちがその思想を引き継ぎ発展させ、維新を成し遂げたことを思うと、彼の功績の大きさにあらためて驚きます。
月性展示館から車で約20分、柳井市阿月(あつき)には、清狂草堂の塾生で、後に奇兵隊の総督となった赤根(禰)武人(あかね たけと)や、第二奇兵隊軍監などを務めた世良修蔵(せら しゅうぞう)の屋敷がありました。二人は、阿月の領主・浦靭負(うら ゆきえ)が創建した私塾「克己堂(こっきどう)」でも学びました。阿月には、克己堂の門が今も残っています。
- 【催し物情報】月性追慕記念行事
- 月性の命日6月19日前の日曜日に行われます。今年は6月14日(日曜日)。妙円寺を会場に、法要、記念講演会、詩吟、剣舞などが催され、多くの人々が月性をしのびます。(どなたでも参加できます。)
- 詳しくは開催日近くにGESSHO(公益財団法人 僧月性顕彰会)に掲載予定です。
- 【おもしろ情報】月性を描いた映画があった!
- 大正12年に、月性の偉業を全国にPRするための映画が製作されました。主演の俳優以外はすべて地元の人たちの出演で、妙円寺と近隣の笠佐島(かささじま)で撮影が行われたそうです。この映画は月性展示館で見ることができ、ふれあいタウン大畠の図書館でDVDレンタルも行っているほか、「僧月性顕彰会」のホームページ“GESSHO”でも見ることができます。恥ずかしがり屋の地元の方々に演技をしていただくためにお酒を切らさないようにしていた、などの楽しいこぼれ話も聞けました。
- GESSHO 映画映像(公益財団法人 僧月性顕彰会)
- 柳井エリア
- 月性展示館・清狂草堂
- 所在地:
- 柳井市遠崎(妙円寺境内)
- アクセス:
- JR山陽本線柳井港駅から徒歩で15分
- 山陽自動車道玖珂ICから県道70号を南へ車で30分
- 赤根武人屋敷跡・世良修蔵屋敷跡
- 所在地:
- 柳井市阿月
- アクセス:
- JR山陽本線柳井駅から県道72号を南へ車で15分
- 関連リンク:
- GESSHO(公益財団法人 僧月性顕彰会)
- 柳井市商工観光課(月性展示館・清狂草堂)
- おいでませ山口へ(月性展示館)

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