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2015年4月24日号 vol.292
おもしろ山口学/久坂玄瑞と、吉田松陰の妹・文

写真:松陰神社境内に現存する松陰の実家・杉家(吉田松陰幽囚ノ旧宅)。玄瑞と文夫妻も杉家で暮らした

第1回 松陰との永遠の別れ
玄瑞18歳、文15歳。2人の結婚から松陰没後百日までを紹介します。

2015年NHK大河ドラマ特別展「花燃ゆ」
「花燃ゆ」の舞台を彩る維新資料140点を一挙に公開。吉田松陰(よしだ しょういん)が形見として家族・塾生らに与えた、現存する「松陰自賛肖像」6点が史上初めて全てそろい、4月27日(月曜日)までの期間限定で公開されます(すべて原本による展示は、この山口会場のみ)。
期間:5月24日(日曜日)まで
場所:山口県立萩美術館・浦上記念館
萩博物館 特別展「長州男児、愛の手紙」
久坂玄瑞(くさか げんずい)から文(ふみ)への手紙6通全てを一挙初公開。
期間:6月21日(日曜日)まで
場所:萩博物館企画展示室
萩博物館 特設展示「兄松陰と妹文-杉家の家族愛-」
6期にわたる展示替えを通じて杉家から萩市に寄贈された松陰の手紙全59通などを展示。
期間:平成28(2016)年9月4日(日曜日)まで
場所:萩博物館特設展示室

久坂玄瑞(くさか げんずい)と文(ふみ)が結婚したのは安政4(1857)年12月のこと。しかし、翌年2月には玄瑞は江戸へ遊学することになり、2人は離れ離れの生活となりました。玄瑞へ度々手紙を送ったり、冬の着物を届けたりと、新妻らしい心遣いを示す文。その冬、ようやく届いた玄瑞からの返事からは、そんな文の姿を知ることができます。

この年は幕府が天皇の許しを得ずに米国と通商条約を結んだことに尊王攘夷(じょうい)派が憤り、玄瑞も東奔西走する日々でした。そんな中でも玄瑞は、その手紙で、ある頼み事をしています。「どうぞどうぞ月に一度、難しければ3カ月に一度は保福寺(ほふくじ)(※1)への墓参りをお頼みします」。

玄瑞は10代で母・兄・父を相次いで亡くし、その墓が保福寺にありました。文は度々墓参りに通ったり、住まいから遠く離れた生雲(いくも。現在の山口市生雲)にある玄瑞の母の実家を訪ねたりもして、玄瑞から感謝されたことが、後の玄瑞の手紙から分かります。

罪人とされた松陰の墓に公然と名を刻んだ玄瑞たち

安政5(1858)年秋ごろから幕府による安政の大獄が始まり、松陰は11月、志士を弾圧する老中の暗殺計画を企てます。玄瑞らは師・松陰をいさめる手紙を送りますが、かえって松陰の激しい怒りを買い、絶交状態に。過激さを増す松陰を、萩藩は野山獄に投じることで幕府から守ろうとします。

安政6(1859)年2月、実家・杉家で暮らす文の元に玄瑞が1年ぶりに帰ってきます。ところが、2人が共に暮らせたのは、わずかな日々でした。2月末、藩が玄瑞に西洋学所(※2)に入寮して学ぶよう命じたためです。文も気をもんだであろう、玄瑞と松陰の関係は、4月に2人が対面し話し合ったことで厚い信頼を取り戻しますが、5月、松陰を江戸へ送るよう幕府の無情な命令が届きます。

松陰は江戸送りの直前、司獄(※3)の独断で許可され、一晩だけ野山獄から杉家へ帰宅し、家族とかけがえのないひとときを過ごします。それは死を覚悟していた松陰の思いを察した玄瑞が、司獄に武士の情けを求めたことによる、ともいわれています(※4)

安政6(1859)年10月、松陰はついに江戸で刑死します。それから百日後の万延元(1860)年2月、玄瑞は他の塾生らにも声を掛け、松陰誕生地のそばに墓(※5)を建て、松陰の遺髪を納めました。墓前の花立などに刻まれたのは、玄瑞をはじめとする塾生の名や、文たちの寄進を示す「杉妹中(※6)」という文字。幕府から罪人として処刑された松陰の墓に名を刻むことは当時、勇気のいる行動だったと思われ、その文字からは松陰を慕う強い思いが伝わってきます。

久坂家の墓があった保福寺の写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

かつて久坂家の墓があった保福寺。久坂家の墓は松陰の兄により、団子岩の墓所へ改葬された
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保福寺の地蔵堂の写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

保福寺の地蔵堂。玄瑞の手紙には保福寺の名が度々登場し、玄瑞自身度々参った
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海潮寺の本堂の写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

保福寺は現在、近くの海潮寺(かいちょうじ)が管理。海潮寺の本堂は、藩校「明倫館」で孔子を祀(まつ)った聖廟を移築したもの
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  • ※1 萩市寺町にある寺。本文※1へ戻る
  • ※2 萩藩が医学所「好生館」内に設置した西洋兵学の教育機関。本文※2へ戻る
  • ※3 獄の役人。福川犀之助(ふくがわ さいのすけ)。松下村塾の塾生の一人として数えられている。本文※3へ戻る
  • ※4 武田勘治『久坂玄瑞』による。本文※4へ戻る
  • ※5 団子岩の墓所。本文※5へ戻る
  • ※6 杉家の妹全員といった意味。本文※6へ戻る
【参考文献】
海原徹『松下村塾の人びと』1993
東京大学出版会『楫取家文書』1、1970
武田勘治『久坂玄瑞』1998
福本義亮『久坂玄瑞全集』1992
山口県教育会編『吉田松陰全集』10 1974など
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