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2015年3月27日号 vol.290
やまぐち幕末維新寄り道紀行

誕生地や旧宅地、寺社に石碑に記念館。山口県には、幕末の志士ゆかりの地がたくさん。
歴史好きのあなたに贈る、憧れの聖地から行く寄り道企画!
山口市阿東の山あいの集落・生雲(いくも)は、萩市内から車で約40分。ここは、久坂玄瑞(くさか げんずい)の母の出身地。少年期に肉親と死別した久坂は、親戚のいる生雲をよく訪ねたのだとか。阿東地域交流センター生雲分館周辺の徒歩圏内には、大谷(おおたに)大庄屋跡、生雲八幡宮(はちまんぐう)、楽山亭(らくざんてい)跡、南園隊駐屯地跡など、幕末・維新ゆかりの地があります。「あの山はきっと、久坂も見たはず!」なんて思いながら、さて今日も寄り道してみましょう!
生雲は、萩城下から岩国方面を結ぶ山代(やましろ)街道が通り、山口と島根方面を結ぶ石州(せきしゅう)街道にも近い交通の要衝でした。その集落の中心部にあった大谷家は名字帯刀を許された豪農で、久坂玄瑞の母・富子(とみこ)の実家でした。地元の方によれば、大谷家は、公家、武士、農民の階級を超えた維新の志士たちが集う家だったようで、久坂の妻・文(ふみ)も実父・杉百合之助(すぎ ゆりのすけ)と共に大谷家を訪れたのだとか。今は、そのお屋敷の石垣だけが残っています。
大谷大庄屋跡から少し歩くと、大屋根が特徴の「中市屋」というお店があります。実はこの建物、大谷家にあった建物の一部が移築されたものなんです。お屋敷には、こうした離れが複数あったそうですよ。生雲の町並みを楽しみながら、当時の雰囲気を想像して楽しみたいですね。
文久3(1863)年の8月の政変で都を落ち延びた七人の公卿(くぎょう)の一人、澤宣嘉(さわ のぶよし)は、生雲に滞在中、生雲八幡宮に詣で、国難の打開や長州藩の難局の打開、自分たち七卿の復権を内容とする願文を祝詞形式にして奉納しました。この願文は現在、市の文化財に指定されています。
生雲八幡宮から少し歩いて、大谷家の別邸「楽山亭」があった場所へやってきました。14歳で母を、15歳で父と兄を亡くした久坂は、この生雲に住む伯父をよく訪ねたといわれています。久坂が生雲を詠んだ漢詩「夜、生雲に抵(あた)る」は、なんと、妻・文との婚礼の年の作だそうですよ。跡地から見る、あの山、この風景、きっと久坂や文も見たに違いない!?
楽山亭の近くに南園隊の駐屯地跡があります。幕府軍と長州が戦った第二次長州征伐の際、小倉口、大島口、石州口、芸州口の4カ所が戦場となり、南園隊は石州口の主力として奮戦。現在ののどかな田園風景からは想像もできませんが、ここには、演習場や兵舎、弾薬庫などがあったそうです。南園隊の本陣がおかれた大谷家は、鉄砲などの購入資金も提供したのだそうです。
山あいの生雲地区を歴史に注目して訪ねてみれば、久坂玄瑞のルーツあり、幕末維新の史跡あり。これまでとは違った一面が見えてきました。山口県内には、ほかにもこんな場所がたくさんあるのかも!! 次回はどこへ行こうかなー!
今回の取材にご協力いただいた阿東地域づくり協議会の皆さん。去る3月14日、「文と玄瑞の愛した阿東生雲 旧街道ウォーク」を実施され、70人を超える参加者にこの地域の魅力を伝えました。

- 山口市阿東・生雲エリア
- 所在地:
- 山口市阿東生雲中周辺
- アクセス:
- 国道9号三谷交差点より県道11号を萩方面へ車で約7分
- 関連リンク:
- あとう路(じ)ナビ

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