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2015年2月27日号 vol.288
やまぐち幕末維新寄り道紀行

誕生地や旧宅地、寺社に石碑に記念館。山口県には、幕末の志士ゆかりの地がたくさん。
歴史好きのあなたに贈る、憧れの聖地から行く寄り道企画!
今回は、山口市の山口県庁エリアで寄り道の前編! 幕末、萩から藩庁が移された山口は、政事堂や藩の教育機関などが置かれ、各地から多くの志士たちが集まり、さまざまな密議も行われた明治維新の策源地。やまぐち萩往還(はぎおうかん) 語り部の会の山根憲司(やまね けんじ)さんのご案内で、さぁ! 行ってみましょう!

やまぐち萩往還 語り部の会の山根憲司さん
国宝・瑠璃光寺(るりこうじ)五重塔で有名な香山(こうざん)公園にやってきました。ここには、幕末にゆかりの深い茶室「露山堂(ろざんどう)」があります。「藩主・毛利敬親(もうり たかちか)公が藩庁を萩から山口に移したとき、今の県庁内の一露山(いちろざん)の麓にこの茶室が建てられました。敬親公は、茶会を理由に家来たちと集い、討幕の密議が行われたそうです」と山根さん。
茶室は、身分の上下なく語り合える場。家臣が述べたことに「そうせい(そうしなさい)」と返答することが多く、「そうせい公」と呼ばれたという説がある敬親公ですが、それまでの情報収集には茶室も一役かったのでしょうね。
露山堂のすぐ近くにある「枕流亭(ちんりゅうてい)」は、山口の旧家・安部家の離れで、薩摩(さつま)藩の西郷隆盛(さいごう たかもり)、大久保利通(おおくぼ としみち)、小松帯刀(こまつ たてわき)、長州藩の木戸孝允(きど たかよし)、伊藤博文(いとう ひろぶみ)などが訪れ、薩長連合の密議が行われたと伝わる場所です。山根さんによれば、当時はここから少し離れた一の坂川の河畔にあったそうです。
幕末、異国の脅威が迫る中、敬親公は、「日帰りでの湯治」を理由にお城のある萩を出て山口へ。そのまま山口に留まり、藩庁が移されます。現在、山口県庁がある場所は、藩主が住む山口御屋形(おやかた)・山口城が築かれた地。やがて完成したこの城は、それまでの天守閣がそびえる城ではなく、大砲を据えて敵に備える八角形に近い敷地の、当時最新鋭の西洋式城郭だったというから驚きです! その正門「藩庁門」も実戦的な石門でしたが、幕府による長州征討の中止の条件として山口城の破却が命じられます。石門の藩庁門は失われますが、その後、切妻造・本瓦ぶきの薬医門として再建されました。藩庁門の周辺には、堀や土塁、石垣の一部が残っているんですよ。
【関連リンク】:幕末に築かれた「山口御屋形(山口城)」(おもしろ山口学 2011年1月28日vol.203)
「山口明倫館」では、西洋兵学に精通した大村益次郎(おおむら ますじろう)が教授の一人として、兵学などを教育していました。ここは、その兵学寮跡地です。
【関連リンク】:幕府軍VS長州。勝利への始まりは、異国軍の散兵戦術にあった(おもしろ山口学 2014年3月14日vol.268)
次号は後編です。
- 取材の途中で面白いものを見つけちゃいました!
- 香山公園にあるサルスベリの木を見上げると、途中から松がニョキニョキ! 「すべらない木」として、合格祈願のパワースポットになっているそうです!
- 山口県庁エリア
- 所在地:
- 山口市香山町・香山公園内(露山堂、枕流亭)
- 滝町・山口県庁内(旧山口藩庁門)
- 中河原(山口明倫館兵学寮跡)
- アクセス:
- 山口県庁より徒歩圏内
- 関連リンク:
- 維新策源地ウォーク((一財)山口観光コンベンション協会)
- 幕末維新ゆかりの地「山口・防府」(やまぐち幕末ISHIN祭公式サイト))
- 山口お宝展公式サイト

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