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2014年5月23日号 vol.272
おもしろ山口学/萩城から江戸城へ旅した毛利家秘蔵の雪舟「山水長巻」/写真:国宝「紙本墨画淡彩四季山水図」(毛利博物館蔵)の一部(左)と幕府の命令による、この模写の記録がつづられた「公儀事控」(山口県文書館蔵)(右)

写真:国宝「紙本墨画淡彩四季山水図」(毛利博物館蔵)の一部(左)と
幕府の命令による、この模写の記録がつづられた「公儀事控」(山口県文書館蔵)(右)

雪舟の代表作が異例の取り扱いで模写されたことをつづった萩藩の記録を紹介します。

第9回中国・四国地区アーカイブズウィーク
「美術とアーカイブズ -古文書に見る防長の美術工芸品-」
狩野古信(かのう ひさのぶ)の雪舟(せっしゅう)筆「山水長巻(さんすいちょうかん)」模写についての歴史探究講座、山口県文書館蔵の資料展示、ギャラリートーク、文書館書庫見学、専門研究員によるアーカイブズ歴史小話などが行われます。
期間:5月31日(土曜日)から6月8日(日曜日)まで ※6月2日(月曜日)は休館
場所:山口県文書館

室町時代の画僧・雪舟(せっしゅう)の代表作、国宝「四季山水図(※1)」。山水長巻(さんすいちょうかん)の名でも知られるこの作品は江戸時代、萩藩主・毛利(もうり)家の秘蔵品でした。現在は毛利博物館(※2)が所蔵し、同館には、それを幕府御用絵師・狩野古信(かのう ひさのぶ)(※3)が模写した模本(※4)もあります。その古信による模写の経緯、萩城で秘蔵されていた山水長巻が江戸へ運ばれ模写されるまでを克明につづった萩藩の記録が、山口県文書館に所蔵されています。

それは享保9(1724)年10月、江戸藩邸の家老から萩の国家老へ次のような書状が届いたことに始まります。「夏以来、幕府から各大名へ、大名所有の『古き絵』を古信に模写させるという命令が下されている。我が殿にも命令が下ると予想され、古き絵とはどんな絵かなど、古信に前もって尋ねておいた」。古信の返答によれば、古き絵とは、唐絵(からえ)(※5)や、土佐(とさ)(※6)から狩野探幽(たんゆう)(※7)までの時代の絵などを指すとのこと。江戸藩邸に国元から絵が運ばれたら、古信が見て選び、江戸城へ差し出し、そこで模写する絵が決まり、模写が済めば絵は早々に返却される、とのこと。

その情報を得た萩藩は、幕府に迅速に対応すべく、早速、萩城のお宝蔵から絵を選び出し、藩主の参勤交代の便を利用して江戸藩邸に運び入れます。そしてその翌月の享保10(1725)年4月、予想どおり、幕府から毛利家へ命令が下ったのでした。

日々往復しながら模写された山水長巻。そして有名絵師のあの代表作も…

そのとき、萩藩が江戸へ運んでいた絵の中に、秘蔵の山水長巻は入っていませんでした。ところが、幕府は当初から山水長巻の模写を考えていたようで、どんなやりとりがあったのかは記録にありませんが、萩藩は最終的に追加で運びます。当時すでに萩-江戸間の参勤交代では、三田尻(みたじり。現在の防府市)-大坂間は海路を用いるのが一般的でしたが、萩藩は秘蔵の品に万一…と心配したようで、記録には「大事のお道具ゆえ、すべて陸」にて運んだことがわざわざ記されています。

このとき、幕府に選ばれた毛利家の絵の中には、安土桃山時代を代表する絵師・狩野永徳(えいとく)(※8)の有名な代表作、当時は毛利家が所蔵していた「唐獅子図屏風(からじしずびょうぶ)(※9)」もありました。

記録には、模写の過程について、山水長巻を中心につづられており、それによると山水長巻は古信に預けたままにせず、萩藩士が藩邸から古信邸に日々、持って行き、夕方には持ち帰る異例の措置で模写され、22日目の11月24日に完成したとあります。古信の言葉によれば、完成した山水長巻の模本は「江戸城へ差し上げたところ、ことのほか気に入っていただき、表装を仰せ付けられ、私の名や印なども入れてよいと言われ、そのようにいたしました」とあり、好評を博したようです。そして江戸へ運ばれていた絵は享保11(1726)年5月、「萩城のお蔵に無事納められた」として記録の筆はおかれています。

日本が誇る著名な画僧と絵師の代表作、山水長巻と唐獅子図屏風。萩藩の記録は、毛利家の宝物の意外な旅の歴史を伝えてくれます。

公儀事控の写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

幕府の命令による、この模写の記録がつづられた「公儀事控」(山口県文書館蔵)
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唐獅子図屏風の写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

「唐獅子図屏風」(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)。永徳による右隻。宮内庁三の丸尚蔵館第51回展覧会図録『虎・獅子・ライオン‐日本美術に見る勇猛美のイメージ』(山口県立山口図書館蔵)より転載
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紙本墨画淡彩四季山水図の写真/写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります

国宝「紙本墨画淡彩四季山水図」(毛利博物館蔵)の一部
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  • ※1 文化財の指定名称は「紙本墨画(しほんぼくが)淡彩四季山水図」。全長約16メートル。本文※1へ戻る
  • ※2 防府市にある毛利家伝来の美術品や歴史資料を所蔵・公開している博物館。本文※2へ戻る
  • ※3 奥絵師四家といわれた江戸幕府の御用絵師の一つ、木挽町(こびきちょう)狩野家の第4代。本文※3へ戻る
  • ※4 萩出身の実業家・久原房之助(くはら ふさのすけ)が入手し、大正5(1916)年、現在の防府市に完成した毛利邸の新築祝いとして毛利家に寄贈し、現在は毛利博物館が所蔵。本文※4へ戻る
  • ※5 中国人が描いた絵。また、中国の風物、人物などを題材とした絵など。本文※5へ戻る
  • ※6 室町時代に活躍した土佐派の絵師を指すと思われる。本文※6へ戻る
  • ※7 江戸初期の幕府の御用絵師。狩野派繁栄の基礎を築いた。本文※7へ戻る
  • ※8 織田信長(おだ のぶなが)、豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)に仕え、城郭建築に合った華麗な桃山時代の絵画様式を打ち立てた。本文※8へ戻る
  • ※9 紙本金地着色(しほんきんじちゃくしょく)の六曲一双の屏風。右隻(うせき)が永徳、左隻は狩野常信(つねのぶ)の作。明治21(1888)年、毛利家から明治天皇に献上され、現在は宮内庁三の丸尚蔵館が所蔵。秀吉の高松城水攻めの際、講和のために毛利家に贈られたという言い伝えがあるが、異なる説もある。本文※9へ戻る
【参考文献】
宮内庁三の丸尚蔵館『新版 雅・美・巧 所蔵名品300選』上 2003
山下裕二監修『狩野派決定版』2004
吉積久年「狩野古信の「山水長巻」模写」『デ アルテ』第4号 1988など
【関連リンク】
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