おもしろ山口学

婚礼を祝う地蔵担ぎ

 山口県内で今も行われている、婚礼の日に石地蔵を担ぎ込む風習を紹介します。

 婚礼が行われている家などへ、地域の人々が石地蔵を担ぎ込み、新郎新婦や家族を祝う風習があります。それは、その家にやってきた花嫁や花婿が石地蔵のように、その家にどっしりと腰を落ち着けてくれますようにと願った風習です。結婚式場やホテルなど、家以外での婚礼が一般的になった今も、萩市などで、少し形を変えながら受け継がれています。
 萩市前小畑(まえおばた)では昨年も地蔵担ぎが行われました。新郎新婦と家族が結婚式から帰宅したところへ、地域の人たちが、めでたい歌詞の長持唄(※1)をうたいながら、顔におしろいを塗って眉を描いた2体の石地蔵を担ぎ込み、新郎新婦の門出を祝いました。
 もっと多くの石地蔵や、他のものを共に担ぎ込む所もあります。萩市三見浦(さんみうら)では、かつて若者たちが、化粧した六地蔵(※2)と、紅白の布で巻いた、いかりを担ぎ込んでいました。石地蔵は縁側にずらりと並べ、いかりを付けた綱で巻きました。ときには若者たちが石地蔵に扮(ふん)し、「生き地蔵」となって担ぎ込まれることもありました。
 萩市内では近年でも生き地蔵が結婚式場などへ担ぎ込まれることがあります。石地蔵はもともと動かないので、生き地蔵も動けません。それをよいことに、その場の人たちから生き地蔵は酒や料理を飲み食いすることを強いられ、祝宴は大いに盛り上がります。

地域の地蔵と人々と共に祝う新たな門出

 萩市三見明石(あけいし)では、かつて地域の女性たちが石地蔵の担ぎ込みに加えて、家が代々続くことを願い、かんきつのダイダイや、家が富むことを願い、わらなどで作った宝船(※3)を持参したといいます。
 また、かつて地域の人々が石地蔵に加えて、山から大きな重い石(※4)も担ぎ込んでいた所もあり、中には石が大き過ぎて、なかなか庭に入らず、塀を壊して入れたこともあったそうです。祝宴は外からも見えるよう、縁側の障子を取り払って行われ、障子が閉まっているときは、見物人は障子に穴を開けて見てもよい、ともいわれていました。
 祝宴が終わると、一般的には、石地蔵を担ぎ込んだ者ではなく、新婚夫婦や、婚礼のあった家の者などが、石地蔵に新しい前掛けを作って掛け、返しに行きます。たくさんの石地蔵を担ぎ込まれた場合は、元の場所が分からず、困ることがよくありました。
 かつて岩国市錦町道立野(みちだちの)では、祝宴後の数日中に、新婚夫婦が石地蔵を返しに行っていました。2人で石地蔵を板に載せ、元の場所を探し、自分の地域だけでなく、近隣へも足を運びました。その間に新婚夫婦は人々とあいさつを交わし、顔見知りになる機会を得ていました。
 地蔵担ぎは人生の門出に際し、地域を見守る石地蔵が立ち会って、以前から住む人々と新たに迎える人とを結び、共に地域を支える仲間となることを認め、喜び、祝う風習といえるかもしれません。

※1 婚礼などで長持を担いで行く時、それを運ぶ人がうたう唄。なお、長持は衣類などを運搬・保存するための、ふたが付いた長方形の大きな木製の箱。
※2 生前の善悪の行為により生死を繰り返す6つの迷いの世界で、苦悩を救済するという6種類の地蔵菩薩(ぼさつ)。
※3 宝船の帆には、新郎新婦や家族の名前を詠み込んだ、めでたい歌が書かれた。
※4 やはり、その家にやってきた花嫁や花婿が、その家にどっしりと腰を落ち着けてくれることを願ったもの。石はそのまま庭石などとして使われた。

参考文献
清水満幸「三見の民俗」『萩市郷土博物館研究報告』第5号1993
山口県編『山口県史 資料編 民俗2 暮らしと環境』2006
山口県教育委員会編『山口県の祭り・行事 山口県祭り・行事調査報告書』2008など

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