おもしろ山口学

萩市川上の「中の原的まつり」

 怪物に見立てた的を当たるまで延々と射続ける、春の祭りを紹介します。

 萩市川上の山間部にある中の原地区では、400年以上の歴史があるとされ、市の無形民俗文化財に指定されている「中の原的(まと)まつり(※1)」が毎年4月29日に行われます。これは全国各地にある弓神事(※2)の1つで、中の原的まつりの特徴は、的が次第に小さくなること、最後の小さな的は当たるまで延々と射続けることにあります。
 このまつりの由来には、伝説があります。昔、滝つぼにすんでいた大ウナギが大洪水で川へ流れ出て、里人によって打ち殺され、食べられてしまいました。すると、その夜、大ウナギの霊が怪物となって空に現れたのです。怪物は猛威を振るい、夜が明けると辺りには牛馬の死骸が転がり、里人は疫病に次々と倒れ、ついに残ったのはわずか3人に。3人は神明様(しんめいさま)(※3)に願を掛け、怪物に向かって矢を放つと、両目と喉に的中。やがて病に倒れた人々は回復し、里人は神明様に感謝して「里の者が3人になるまで祭りを奉仕します」と誓った…というものです。

怪物を退治し、神に感謝し、今年も五穀豊穣に

 的まつりは竹林に囲まれた神明社の境内、射手から的まで約20メートルの距離の射場で行われます。的は6種類全8枚で、怪物を表します。的の後方には、臨時の祭壇を竹で作り、お神酒やスルメなどを供えます。弓には、御幣(ごへい)(※4)を取り付けます。
 準備が整った後、的まつりは神事を経て、弓太郎・弓次郎という役の2人が口上を述べ、「大的(※5)」へ2本ずつ2回矢を射ることから始まります。大的は怪物の胴体を表します。続いて8人の射手が2本ずつ、大的に200本当たるまで射ることを計3面の大的で繰り返します。その後、射手全員が神社に入り、女性たちが作った昼食をいただきます。昼食後は、的を6つ重ねた「重ね的(※6)」を全員で2本ずつ3回射ます。次に「勝負的(※7)」を、2人1組で他の組とどちらが早く射当て、どの組が最後に残るか、勝負していきます。この勝負的は怪物の頭を表します。
 そしていよいよサカキの木立の中に立てられた、地面に近く、大きさも格段に小さくなった的が登場します。まず「暮(くれ)の的(※8)」。続いて「完の的(※9)」です。これらは怪物の目を表し、大変小さい上、由来のとおり、必ず射当てて怪物を退治しなければならないため、徹夜で2日にわたった年もありました。完の的を射当てた後は、一般の人も加わって「三ツ的(※10)」を射る余興となり、的まつりは終わります。また、勝負的・暮れの的・完の的を射当てた人は宮司に祝詞をあげてもらい、的と矢を家に持ち帰り、厄よけなどとして飾ります。
 農作業などが始まる春、人々が共に集い、家内安全・五穀豊穣・悪鬼退散などを祈り、的を射当てるまで終わらない的まつり。昔からこのために帰郷する人も多く、地域を守る絆が、的まつりによって脈々とつながれてきたことを教えてくれます。

※1 別名「百手(ももて)神事」。百手とは元来、200本の矢を、2本1手として100回に分けて射ること、とされている。
※2 年占(としうら)、厄よけ、五穀豊穣(ほうじょう)祈願などの意味があるとされる。的を、走る馬上から射る「流鏑馬(やぶさめ)」と、地上に立って射る「歩射(ぶしゃ)」があり、中の原の場合は歩射。
※3 この地域では、氏神。
※4 白色などの紙を段々に切り、竹などの幣串(へいぐし)に挟んだもの。
※5 中央に赤・黄・青の色紙が貼られている。直径157センチメートル。
※6 直径66.6センチメートル。
※7 直径36センチメートル。
※8 直径6.6センチメートル。
※9 直径5.4センチメートル。
※10 3つの的が1つになった的。

参考文献
川上村教育委員会編『かわかみの伝承と昔ばなし』2000
福田アジオ他編『日本民俗大辞典』上1999・下2000
山口県教育委員会編『山口県の祭り・行事 山口県祭り・行事調査報告書』2008など

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