おもしろ山口学

針穴や測線が物語る、伊能忠敬の精密で貴重な防長絵図

 県立美術館「防長の絵図-美しき古地図の世界-」から紹介します。

 県立美術館では、8月26日(日曜日)まで「防長(ぼうちょう)の絵図-美しき古地図の世界-」を開催中です。その中に、江戸時代、現在の山口県について作製された全7枚からなる「御両国(ごりょうこく)測量絵図」(※1)があります。これは伊能忠敬(いのう ただたか)(※2)が率いる測量隊(伊能隊)が作った「伊能図」(※3)と総称される手書きの地図のうちの7枚ですが、全国的に非常に貴重なものです。
 忠敬は55歳のとき、個人的な目的(※4)のもと、現在の北海道の海岸の測量を幕府に申請して許され、個人の事業として地図作りを始めました。忠敬の測量は、従来から行われていた地上の実測だけでなく、夜間に天体観測を行って緯度を測り、精度を高めたことが画期的でした。やがて4回にわたって東日本を測量し、提出した沿海地図の精密さが幕府から評価され、西日本の海辺測量も命じられます。以来、その地図作りは幕府直轄事業となります。忠敬は17年間に及んだ全国測量後、あらためて日本全体の地図作りに着手しますが、完成前に73歳で死去します。その3年後、弟子たちの手で、縮尺の異なる大図・中図・小図(※5)からなる200枚以上の日本地図の最終版(※6)が完成し、幕府に提出されました。
 しかし、最終版は、1873(明治6)年に皇居の火災で焼失したとされ、現存するのは写しなどのみです。中でも、「副本」と呼ばれるものは、控え用や諸藩主の求めに応じて弟子たちが作製したもので、わずかな数しか確認されていません。

山口県を描いた優れた伊能図

 弟子たちによる副本には、針穴があります。この針穴は、彼らが、紙を重ねた上に元となる図を置き、その「測線」を針で突き、正確に写したことによるものです。山口県の御両国測量絵図は萩藩主の求めで作られた、その針穴が残る最終版大図の副本なのです。
 測線とは伊能隊が測量した線のことで、図中に赤線で記され、よく見ると、短い直線の連続だと分かります。それは伊能隊が真っすぐ見通せる地点まで距離と角度を測り、それを繰り返していったことを物語ります。
 御両国測量絵図の魅力は、針穴だけでなく、7枚がそろっていること、美しい色彩、繊細な描画などです。7枚をつなぐ目印にもなる羅針図(※7)は華やかな色合いで描かれ、抑えた色彩の絵図を引き締めています。山々は測量時のスケッチなどをもとに、ぼかしの技法を用いながら丁寧に描かれ、国宝 瑠璃光寺五重塔(るりこうじごじゅうのとう)(※8)などの名所旧跡、家並み、他の大図にはない国・郡・村の境界も記されています。測線は街道の他、船からの測量により、当時は道のない岬や島々の海沿いまで丹念に記されています。伊能隊には、萩本藩や支藩から絵図や名所旧跡などの情報も提供されました。御両国測量絵図の完成には、美麗かつ精緻な絵図を数多く作製し、各村の人家の数、境界などの詳細な地誌情報もまとめていた萩藩絵図方(えずかた)の実績(※9)も、大いに役立てられたに違いありません。


※1 両国とは、周防・長門(すおう・ながと)。今回の展示は、7枚中4枚。
※2 現在の千葉県生まれ。酒造業を営む。隠居後、50歳から暦学(れきがく)を学んだ。
※3 「写本」といわれる江戸時代の手書きの複製や、「模写本」といわれる明治時代以降の手書きの複製、副本など、写したものも含まれる。
※4 忠敬は暦学に必要な地球の大きさを知るため、経線一度の長さを知りたかった。
※5 大図は36,000分の1、中図は216,000分の1、小図は432,000分の1。
※6 「大日本沿海輿地(よち)全図」。1821(文政4)年完成。
※7 東西南北を示す。伊能図では円形の羅針図を、半円形に分けて、接合の目印としている。
※8 山口市にある室町時代に建立された塔。
※9 「行程記(こうていき)」「一村限明細絵図(いっそんぎりめいさいえず)」など。

参考文献
伊能忠敬研究会編『完全復元伊能図』2009
同『忠敬と伊能図』1998
川村博忠『江戸幕府の日本地図-国絵図・城絵図・日本図』2010
鈴木純子・渡邊一郎編『最終上呈版 伊能図集成』1999など

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