おもしろ山口学

角島の海の信仰とツノシマデンマ

 北国からの北前船による奇妙な儀礼と、角島独特の舟を紹介します。

 響灘(ひびきなだ)(※1)に浮かぶ下関市豊北(ほうほく)町角島(つのしま)。本土との間を隔てるコバルトブルーの海峡は海士ケ瀬(あまがせ)(※2)といい、角島大橋(※3)で結ばれて以来、その美しい風景は広く知られるようになりました。
 主に江戸時代から明治時代、東北・北陸-大坂(大阪)間を、下関を経て往来した北前船(きたまえぶね)(※4)では、海士ケ瀬や角島の近くに差し掛かると、奇妙な儀礼を行っていました。その儀礼とは、カシキと呼ばれる船乗りの中で最も若い炊事役が裸になり、ふんどしの上に、しめ縄を巻き、船べりを3度回ったり、船首で杓子(しゃくし)と鍋蓋(なべぶた)を持って踊ったりするものでした。そしてそれは海の神に無事を祈り、角島の海域を通過することを承認してくれるように願った儀礼として「角島マイリ(参り)」と呼ばれました。
 そもそも北前船にとって角島は、日本海沿岸の諸地域から下関を目指す際には、「目当て」となる重要な島であり、穏やかな瀬戸内海から響灘を抜けて東北を目指す際には、荒々しい日本海へと繰り出す境界に位置する島でした。また、海士ケ瀬は潮の流れが複雑で水深も浅く、角島沖には無数の暗礁があり、角島の海は操船の腕を試された全国有数の「難所」でした。角島の岬には、さまざまな神がいる、と恐れられてもいました。
 それらのことから角島の海は、船乗りにとって危険で神聖な場所だったと考えられています。船乗りの仕事は「板子(いたご)一枚下は地獄」(※5)といわれるほど危険であり、この海を無事通過できるよう、非日常の祭り騒ぎの儀礼を示すことを通して、神の加護を祈ったようです。

角島の海で舟を止めて漁をするために

 今年、下関市立豊北歴史民俗資料館が収集してきた、約3,800点に及ぶ明治時代から昭和30年ごろまでの「豊北の漁撈(ぎょろう)用具」が、国の有形民俗文化財に登録されました。その中に、角島で使われていた全長約7メートルの木造の伝馬舟(てんまぶね)(※6)「ツノシマデンマ(角島伝馬)」があります。
 伝統的な船の形は、海の特徴や漁の形態、船大工の系譜によって全国各地で異なり、ツノシマデンマの特徴は安定性に優れていること(※7)です。この舟は、時間帯によって風向きや潮の流れが変わる角島の海で、舟を止め、ワカメやアワビなどを採る漁(※8)に用いられていましたが、近年、手入れの手間が少ないFRP船(※9)にとって代わられるようになり、ツノシマデンマを造る船大工もいなくなりました。
 しかし、ツノシマデンマは角島で盛んな漁の形態に適した形に、時を重ねる中で改良されてきたものであり、軽量なFRP船より潮に流されにくいことから、古いものを手入れしながらこだわって使い続けている人もいます。その舟造りの技の記録・伝承を目的に、かつて父とその舟を造った経験がある船大工の手で2002(平成14)年に復元され、子どもたちによって、それをこぐ体験学習も始まりました。角島の海だからこそ育まれた舟の文化を、次代に伝え残す取り組みが続けられています。


※1 本州西端の長門市油谷(ゆや)辺りから関門海峡辺りまでの海域。
※2 海士ケ瀬戸ともいう。
※3 2000(平成12)年に架橋。全長1,780メートル。
※4 東北・北陸の米などを、日本海から瀬戸内海を通り、大坂(大阪)へ運んだ。
※5 船底板の下は死につながる海。危険な仕事という意味。
※6 木造の小型舟。てんませんともいう。一般的には、本船にえい航あるいは搭載され、本船と陸との往来などに使用。
※7 波を切り分けて進むのに適した形であり、波や潮流の中での安定性に優れている。
※8 ワカメは角島の名産で万葉集にも詠まれている。アワビは箱眼鏡で海中をのぞき、鮑鉾(アワビボコ)という道具で、はさんで採る。
※9 強化プラスチック船。

参考文献
北見俊夫『日本海上交通史の研究』1986
桜田勝徳『漁村民俗誌』1934
下関市立豊北歴史民俗資料館『ツノシマデンマ(角島伝馬舟)造船記録-民俗技術伝承の課題-』2007
牧野隆信『北前船の時代』1979など

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