おもしろ山口学

山口県文書館「絵図と古文書で歩く萩往還」

第2回:あの世が見える重ね餅と、木片から生まれたサバ

 「行程記」から、山口の重ね岩と防府の佐波川にまつわる話を紹介します。

 県文書館では、6月9日(土曜日)に第7回中国四国地区アーカイブズウィーク 歴史探究講座「絵図と古文書で歩く萩往還(※1)-萩から三田尻(みたじり)まで-」を開催します。この講座で紹介する絵図の一つ、江戸時代に萩藩が作った「行程記」(※2)には、多くの興味深い話が書き込まれています。
 その中の一つ、山口の鰐石(わにいし)町の、椹野川(ふしのがわ)の岸辺に、重ね岩と呼ばれる、二つ重なった大きな岩があり、その岩について、行程記には、次のように記されています(※3)。
 「大内氏(※4)の時代、重ね岩は鰐石町に市(いち)を立てたときの市えびす(※5)としてまつられていた。岩が二つ重なっていることから、市を立てる商人が二つ重ねた餅を市えびすに供え、売るようになった。大内氏の没落後、毛利氏が萩に入り、萩で初市(※6)に重ね餅を売るようになったのは山口の例にならったものである。萩では、重ね餅に、つむ(※7)を刺し、その餅の穴を通して見れば、あの世にいる親が見える、と伝わっている」
 鰐石町は当時、山口の町と御堀(みほり)村との「地理的な境」にありました。そこには、その境となった川があり、川は水難などで命を落とすこともある危険な場所でもありました。そして古い年が改まり、新年で最初の市が立つ日という「時間の境」ということもあって、あの世とこの世を結ぶ重ね餅の話が鰐石町で生まれ、萩へ伝わったのかもしれません。

重源が書いた字がサバに?

 徳地(とくぢ)から防府(ほうふ)を経て瀬戸内海へ注ぐ「佐波川(さばがわ)」について、行程記では「鯖川(さばがわ)」として、川の名の由来を記しています。 「東大寺建立の節、俊乗坊重源(しゅんじょうぼう ちょうげん)(※8)という僧が来て、徳地で木(※9)を切り出した。そのとき杣人(そまびと。木を切り出す人)たちが久しく魚を食べず、力が衰えていたため、その僧が木片に鯖と書いて川へ入れた。すると、たちまち木片が鯖となったことから、鯖川というようになった」…と。
 実際に防府の沿岸・沖合はサバの好漁場であり、これは佐波川流域に多く残る、重源を聖人化した逸話の一つです。また、山奥から木材を切り出す作業は大変な危険を伴う重労働であり、杣人たちの疲れを癒やそうとしたのか、石風呂(※10)という今でいうサウナを、重源が造った、と言い伝えられてきました。重源の思いやりを受け止めた地域の人々の間で、重源の逸話が生まれ、受け継がれていったのかもしれません。行程記は、そうした地域の人々の思いを、今の私たちに教えてくれます。


※1 城下町・萩(萩市)と三田尻(防府市)とを結んだ街道。
※2 萩から江戸までの主要街道を描いた全23帖(じょう)の絵図。
※3 『防長風土注進案』なども参考にした意訳。
※4 室町時代、山口を拠点に西国一栄えた大名。
※5 市(市場)が立つ地に、商業の神としてまつられた、えびす。
※6 新年になって初めて立つ市。
※7 糸を紡ぐ道具の回転軸となる棒。
※8 平家の焼打ちによって焼失した奈良の東大寺を、平安時代末から鎌倉時代、再建する任を担った人物。
※9 東大寺再建のための材木。
※10 佐波川流域に今も多く残る。

参考文献
山口県文書館編『絵図でみる防長の町と村』1989
山口県文書館編『防長風土注進案』1983
防府市編『防府市史 通史』1 2004など

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