おもしろ山口学

松崎天神縁起絵巻と防府天満宮(後編)

県立美術館で開催中の「防府天満宮展」などから防府天満宮と大内氏との関係を紹介します。

防府(ほうふ)天満宮(旧 松崎天神)の最古の奉納品、国の重要文化財「金銅宝塔(こんどうほうとう)」(※1)には、1172(承安2)年に松崎天神にそれを安置したことが刻まれており、松崎天神は平安時代後期には、かなりの規模の神社だったことがうかがえます。

鎌倉時代の「松崎天神縁起絵巻(まつざきてんじんえんぎえまき)」に描かれた社殿は、僧重源(ちょうげん)(※2)が造営に関わったものと考えられ、鳥居前町の宮市(みやいち)も描かれています。

室町時代には、西国一の大名、大内氏から手厚く保護され、弘世(ひろよ)(※3)以降歴代当主が社殿の再建などの整備を行っています。大内氏は神事も支え、奉納品で国の重要文化財に指定されている室町時代の優れた鎧兜(よろいかぶと)(写真)は、盛見(もりはる。もりみ)(※4)が将軍から拝領し、神事用に寄進したものと考えられています。また、松崎天神の最大の祭り「十月会(じゅうがつえ)」(※5)に、当主が参拝、もしくは家格の高い大内氏一門を名代(みょうだい)(※6)として派遣していたことからも、大内氏が松崎天神を重んじていたことが分かります。

大内氏が作らせた絵巻の写し

ところで、鎌倉時代の松崎天神縁起絵巻(鎌倉本)の保存状態が良好なのは、門外不出として大切にされたことにあります。しかも、防府天満宮には、鎌倉本を写して室町時代に作られた絵巻「松崎天神縁起写(うつし)」(室町本)もあり、現在、県立美術館で鎌倉本と共に展示中です。

室町本は、大内義興(よしおき)が、義興を頼って山口に来ていた前将軍足利義稙(あしかが よしたね)を奉じて大軍を率いて京都に上り、将軍に返り咲かせた永正年間(1504-21年)、京都で、一流の絵師、土佐光信(とさ みつのぶ)に描かせたと伝わるものです。実際に光信の作かは不明ですが、1503(文亀3)年に光信が描いた「北野天神縁起絵巻」は京都の北野天満宮に現存します。

北野天満宮では同時期、根本縁起と呼ばれる北野天神縁起絵巻の「承久本」(※7)を紛失した事件がありました。それを聞いた義興が、松崎天神縁起絵巻の紛失を恐れ、京都で写しを作らせたのでは、とも考えられています。

松崎天神縁起絵巻の作成以降、全国各地でその地域との関係を取り入れた天神縁起が作られるようになったことから、松崎天神縁起絵巻の評判は遠くまで届いていたのかもしれないことがうかがえます。


※1 円筒形の塔身に屋根を架けた塔。銅製で金メッキが施され、高さ約40センチメートル。中に青色のガラス製の舎利(しゃり。釈迦(しゃか)の骨とされるもの)を納める容器がある。
※2 焼失した東大寺の再建を担った僧で、その用材確保の地に充てられた周防国に下ってきた。
※3 周防・長門国を統一、大内氏発展の礎を築いた。
※4 弘世の子。現在の瑠璃光寺(るりこうじ)五重塔を建立。
※5 現在の御神幸祭(ごじんこうさい)。別名、裸坊祭(はだかぼうまつり)。
※6 代理。
※7 1219(承久元)年ごろの作。絵と詞(ことば)を備え、同類の原本とされる。
参考文献
山口県立美術館編『松崎天神縁起絵巻七百年記念 防府天満宮展-日本最初の天神さま-』2011
防府市史編さん委員会編『防府市史 通史1』2004、『同 史料1』2000
防府天満宮編『防府天満宮神社誌宝物編』2002、『同 社史編』2005など

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