おもしろ山口学

松崎天神縁起絵巻と防府天満宮(前編)

鎌倉時代後期の絵巻の代表作と評される華麗な絵巻を紹介します。

県立美術館では、11月6日(日曜日)まで「松崎天神縁起絵巻七百年記念 防府天満宮展-日本最初の天神さま-」を開催中です。松崎天神とは防府(ほうふ)天満宮の旧名で、松崎天神縁起絵巻(まつざきてんじんえんぎえまき)(※1)は全6巻、縦約34センチメートル、全長約75メートルに及ぶ絵巻です。1311(応長元)年という作成年の明記が貴重なほか、華麗な色彩や精緻な描写の評価も高く、国の重要文化財に指定されています。

菅原道真(すがわら みちざね)を天神(※2)としてまつる天満宮は全国各地に数ある中、防府市にある防府天満宮は、京都の北野天満宮(北野天神)、福岡県太宰府(だざいふ)市にある太宰府天満宮と共に「日本三天神」と呼ばれています。

天神縁起絵巻も全国各地にあり、中世のものの多くは北野天満宮の縁起のみを物語っています。しかし、防府天満宮に伝わる松崎天神縁起絵巻は自社の縁起を加えており、後に全国各地で、いわばご当地版の天神縁起が作られていく先駆けであること、また、松崎天神縁起絵巻の原本と考えられる北野天神縁起絵巻の「弘安本」(※3)が分断されて欠けているのに比べ、全てそろい、保存状態が良好なことからも非常に貴重な存在となっています。

魅了される細密な描写

一般的に天神縁起絵巻には、次のようなことが描かれています。文才の誉れが高かった道真は、天皇に信任されて右大臣まで昇りながら、左大臣の藤原時平(ふじわら ときひら)の謀略によって大宰権帥(だざいのごんのそち)(※4)として左遷され、九州へ。無罪を天に7日7夜訴えて亡くなり、天神となります。御所に雷が落ちると人々は道真のたたりと恐れ、道真の左遷に関わった時平や天皇は次々と病没し、その後、都に道真をまつる社が造られ、信仰する者には幸せが訪れるようになった…と。

一方、松崎天神縁起絵巻には、次のような物語が加えられています。その物語とは、道真は九州へ下る途中、勝間(かつま)の浦(現在の防府市勝間)の漁師の小屋に泊まり、「ここはまだ天皇が住む地を離れていない(※5)。願わくば、ここに居を構えたい」と涙を流し、そして道真没後、海に光が差し、酒垂山(さかたりやま)(※6)に瑞雲(ずいうん)(※7)がかかるのを見た周防国(すおうのくに)の国司が、酒垂山の麓に社を造って道真をまつるようになったという松崎天神の縁起です。

圧巻なのは巻三で、截金(きりかね)(※8)で表された落雷に人々が慌てふためく様子、道真の怨念である青蛇が両耳から出ている病床の時平、調度品の細密な描写など、見る人を魅了します。現在の境内とよく似た巻六の松崎天神の描写も興味深く、700年前の松崎天神に絵巻を通して参詣するような感慨を味わえます。


※1 縁起絵巻とは、社寺の由来や利益(りやく)などを絵と詞(ことば)で表した絵巻。
※2 天神信仰は、天・雷鳴を恐れあがめ、農耕に必要な雨を求めた昔からの信仰に、道真を崇敬する信仰が結び付いたもの。
※3 1278(弘安元)年作。現在は分断されて京都・東京・国外などで所蔵。
※4 九州などを統括した大宰府の長官。
※5 本州であることから。
※6 現在の防府天満宮の社殿がある天神山の旧称。
※7 めでたいしるしの雲。
※8 金箔(きんぱく)などを切って貼り、文様を施す技法。
参考文献
山口県立美術館編『松崎天神縁起絵巻七百年記念 防府天満宮展-日本最初の天神さま-』2011
防府市史編さん委員会編『防府市史 通史1』2004
小松茂美編『続日本絵巻大成16松崎天神縁起』1983など

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