応援します!「山口ふるさと大使」

山口県では、県外で活躍中の本県にゆかりのある方に、「山口ふるさと大使」へ就任いただき、全国に向けた、さまざまな魅力のPRにご協力いただいています。毎月、第2週目の配信号で、「山口ふるさと大使」が語る山口県の魅力をご紹介します。

第10回 歌手:山本譲二 (やまもと じょうじ)さん

山本譲二さん

1950(昭和25)年下関市生まれ。早鞆(はやとも)高校卒業後、東京へ。1974(昭和49)年、芸名「伊達春樹(だて はるき)」で歌手デビュー。1978(昭和53)年、本名「山本譲二」で再デビュー。1981(昭和56)年、「みちのくひとり旅」が約100万枚のヒットとなり、日本レコード大賞(部門賞)ロングセラー賞や、全日本有線大賞グランプリなど数々の賞を受賞し、NHK紅白歌合戦に初出場を果たす。以後、数々のヒット曲を出し、受賞多数。2011(平成23)年、新曲「旅路の果ての…」のシングル売り上げが、4月の週間ランキングでトップ10入り。

ふるさと一言Q&A

Q.ふるさとの好きな場所は?それはなぜ? 下関市の「みもすそ川公園」。関門海峡が目の前に見えるし、高校時代、デートした思い出の場所でもあります。
Q.他県の方にお薦めの山口県の観光地は? 関門海峡もいい。萩もいい。歴史がいっぱい詰まっていますからね。
Q.帰郷すると食べたくなる物は? ウニ、フグ。山口県の魚はやっぱりうまい!鯨のベーコンもうまいしなあ…。
Q.山口県のおみやげといえば? フグ!同級生が下関でフグの専門店をやっていて、そこから必ず直送してもらうんです。夏のフグもおいしいんですよ!

みもすそ川公園
みもすそ川公園
関門海峡
関門海峡
萩市
萩市
鯨のベーコン
鯨のベーコン

山本さんは高校時代、野球部に所属し、甲子園の土を踏まれていますね?

山本さんええ。当時の思い出というと、県大会の3回戦で優勝候補のチームに勝って以来もう負ける気がしなくて。でも、豊浦(とよら)高校と対戦したとき、うちの素晴らしいエースがノックアウトされて。初めての試練でした。そのとき交代することになったピッチャーがレフトを守っていた僕のところへ来て「譲二…、負けた」って言うんです。「何を言うんだ。まだまだだ!」って僕は言い、センターへまわりました。そして迎えた相手チームの4番は、中学時代の同級生。その同級生が右中間へ打った大飛球を僕が捕ってアウトに。翌日の新聞に「光る山本の超美技」と載り、新聞に載ったことが甲子園出場よりうれしかったですねえ。そんな僕ももう61歳。チームメイトはみんな白髪ですよ。僕の髪は黒いけど(笑)。当時の監督や仲間たちと会うと、今でも「あのファインプレーがなかったら、甲子園には行けなかった」と言ってくれるんですよ。

2005(平成17)年に山口県の野球クラブチーム「きららマウントG」を創設し、総監督に就任。どうして立ち上げようと思われたのですか?

山本さん「50歳過ぎたら、育ててくれたふるさとに恩返ししろよ」とよく言っていた親父の言葉が、親父が死んでから、よみがえるようになって。そんなころ山口県で活躍していた実業団チームが廃部にされ、野球をやれる場がなくなったという話を聞いて「それなら俺が引き受けてやる!」と。これはずいぶんお金がかかるもので、うちの事務所、大変ですよ。でも、決めたからには頑張らないとね。

きららマウントGは今年7月、全日本クラブ野球選手権大会中国・四国地区予選で優勝!おめでとうございます!

山本さんありがとうございます!次は都市対抗野球大会に出て、プロに行ける選手を育てるのが夢です。選手のみんな、いろんな仕事をしながら頑張ってくれているんですよ。介護の仕事をしている選手もいて「オーナー。おじいちゃん、おばあちゃんに会いに来てくれませんか」って頼まれて行くと、ものすごく喜ばれて。そんな出会いがとても増えて、ああ、これが親父の言っていた恩返しなのかなって最近思うんですよね。

「おいでませ!山口国体・山口大会」では、山口国体の総合開会式と、山口大会の開会式のフィールド司会者を務めていただくことになりました。今のお気持ちを聞かせてください。

山本さん山口県で生まれた男です!みんなが笑顔になれるよう、バリバリの山口弁で楽しい司会をしようと思っちょります!


山口ふるさと大使として、山口県への応援メッセージを一言お願いします!

山本さんじいちゃんも、ばあちゃんも、親父も、ふるさとの土の下に眠っています。そして歴史、ロマン、自然。山口県は素晴らしいふるさとです。ぜひ多くの人たちに来てもらいたい。そのために僕ができることなら、力になります!これからも素晴らしいふるさとを紹介していきます!


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