おもしろ山口学

萩藩絵図方の独創的で華麗な絵図(前編)-有馬喜惣太の傑作「御国廻御行程記」-

記号の使用、別冊とのセットなど、独創性に満ちた美しい街道絵図を紹介します。

萩藩には、藩政に必要な地図や地誌の情報収集・作成などを担った「絵図方(えずかた)」という部署があり、独創性に満ちた多くの絵図類を残しています。中でも「御国廻御行程記(おくにまわりおんこうていき)」は、藩主の御国廻りの道筋を描いた、全7帖(じょう)の華麗な街道絵図の傑作です。

作成者は、雲谷(うんこく)派(※1)の絵師で萩藩絵図方雇(やとい)となった有馬喜惣太(ありま きそうた)(※2)らで、6代藩主の御国廻りに際して、1742(寛保2)年に作られたものです。萩藩の御国廻りとは、代替わりした藩主が、それまで居住していた江戸から萩藩へ初入国(はつにゅうごく)した後、周防(すおう)・長門(ながと)両国(※3)の外周をたどって領内を巡見(※4)した行事です。
 巡見に携行し、また、広げて見るのに便利なように、御国廻御行程記の形態は折本(おりほん)(※5)仕立てで、畳むと28.5×14センチメートルの大きさとなります。

「長州の伊能忠敬」有馬喜惣太

その特徴はまず、風景が細やかに描かれ、美しい彩色が施され、山の名前や、木橋か石橋かなど、橋の種類も分かるように記されていることです。風景は巡見の進行方向に沿って展開し、道の方向が変わると、方位盤の向きを変えて東西南北を示します。

家や寺、神社、米蔵、高札場(こうさつば)(※6)、一里山(※7)などに記号が用いられ、しかも記号は基本的に印判を使用していることも、他藩の絵図にはほとんど見られない特徴です。印判は他の絵図でも使われ、絵図を統一した仕様で作っていたことがうかがえます。絵図上の一里山の間隔は約70センチメートルで、縮尺も定められていたようです。

さらに大きな特徴は、寺や神社の由来などを記した別冊の「寺社旧記」全7帖とセットになっていることです。御国廻御行程記に描かれた寺社には、「いろは文字」が割り当てられ、同じいろは文字を寺社旧記で調べると、各寺社の由来を詳しくつかめる趣向になっているのです。

独創性に満ちた、さまざまな優れた絵図類を作った有馬喜惣太。「長州の伊能忠敬(いのう ただたか)(※8)」といえる、山口県が誇る地図作成者です。


※1 室町時代の画僧、雪舟(せっしゅう)の流れをくむ雲谷等顔(うんこく とうがん)を始祖とする流派。萩藩の御用絵師。
※2 絵図の作成を家業として代々仕えた藩士と異なり、彼は絵図方に雇用後、才能が認められ、彼のために設けられた「郡方地理図師(こおりかたちりずし)」として藩士に登用された。 代表作に「地下上申(じげじょうしん)絵図」、「防長土図(ぼうちょうどず)」など。1769(明和6)年に死去。おもしろ山口学166・167号参照。
※3 現在の山口県。
※4 見回ること。
※5 横に長くつないだ紙を等間隔で折り畳んで作った本。
※6 法令などを記したものを掲げた板札を立てた場所。
※7 一里塚。街道に一里(約4キロメートル)ごとに石や土を盛り、その上に距離を記した塚木を立てたもの。
※8 1800年代前半、実測した全国地図を日本で初めて作成。現在の千葉県出身。

参考文献
山田稔「『御国廻御行程記』とその異本について」『山口県文書館研究紀要』25 1998
同「近世街道絵図『行程記』の路線図について」同36 2009
同「『一村限明細絵図』清図の記号について」同34 2007
川村博忠「近世防長の絵地図の世界」『絵図でみる防長の町と村』1989 など

▲このページの先頭へ