おもしろ山口学

守護大名 大内氏の食文化

第1回:発掘調査から見えてきた盛大な宴(うたげ)

大量の使い捨ての皿や骨から分かる中世のおもてなしの文化を紹介します。

室町時代、西国一の守護大名・大内氏の拠点だった山口市。山口市では、大内義興(おおうち よしおき)が1500(明応9)年に前将軍(※1)をもてなした料理の一部を再現した「平成大内御膳」を味わえる企画が、山口商工会議所の主催で4月3日(日曜日)まで行われています。これは大内氏館跡の発掘調査をはじめ、食文化史など多様な分野の専門家と料理人との連携・研究成果によって初めて実現したものです。

当主が代々居住した館跡からは、これまで、数百枚から約1,500枚にも及ぶ大量の土師器皿(はじきざら)(※2)をまとめて捨てた穴が発見されています。出土した土師器皿の特徴は、16世紀になると、それまでの、ろくろを使った皿から、大半が手づくね(※3)の京都系土師器皿(※4)に代わること。金箔(きんぱく)を貼った皿や、貴い客人にしか出さなかったとされる「耳皿(みみざら)」という貴重な箸置きも出土したことなどです。

室町時代、京都の上流社会の宴では、貴い客人をもてなす際、清浄の証しとして、一度使ったら捨てる土師器皿や白木の膳を用いることを最高のぜいたくとしていました。

大内氏が有職故実(ゆうそくこじつ)(※5)などの幅広い教養を積極的に学んでいたことは、以前から文献を通じて知られていました。出土した大量の京都系土師器皿は、大内氏がフォーマルな京都の食文化を、意識して学び実践していたことを裏付けます。

わずか数ミリメートルの骨から食材を判定

館跡の調査では、土師器皿を捨てた穴の土をふるいにかけ、残りとみられる、わずか数ミリメートルの食材の骨や貝殻を顕微鏡で観察し、何の種類かを判定する動物考古学の調査も行われています。その結果、最も多かったのは魚介類で、サメやエイ、アワビなど。特にマダイが多く、頭から尾までの骨も見つかり、尾頭付きで流通していたと考えられています。出土した魚介類の大半は、近隣の海や河川で採集が可能なものですが、大内氏の献立記録には、カズノコやホッケなど北国の海産物も記されています。

当時、食材には格付けがあり、海の物が上、川の物が中、山の物が下とされ、ただし川のコイは最上のものとされていました。義興が前将軍をもてなした献立記録でも、海の物が多く、コイも記されています。どんな豪華な献立だったのかは、次回で紹介します。

※1 幕府将軍の座を追われ、山口の大内氏を頼って下向した足利義稙(あしかが よしたね)。その後、大内氏によって将軍に復職。
※2 うわぐすりを掛けない素焼きの器。
※3 ろくろを使わない成形。
※4 それに対し、ろくろ使用は在来系土師器。京都系の出土例は、有力な地方大名の地でも少ない所もあり、大内氏館の出土例の多さは特徴的。
※5 朝廷や武家の礼式などに関する決まり。

参考文献
江後迪子『萩藩毛利家の食と暮らし』2005
同『信長のおもてなし』2007
北島大輔「大内氏は何を食べたか」『動物と中世 獲る・使う・食らう』2009
山口名物料理創出推進会議『明応九年三月五日将軍御成献立』2011など

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