応援します!「山口ふるさと大使」

山口県では、県外で活躍中の本県にゆかりのある方に、「山口ふるさと大使」へ就任いただき、全国に向けた、さまざまな魅力のPRにご協力いただいています。毎月、第2週目の配信号で、「山口ふるさと大使」が語る山口県の魅力をご紹介します。

第4回 作曲家 鈴木淳(すずき じゅん)さん

鈴木淳さん

1934(昭和9)年防府市生まれ。県立防府高等学校を卒業後、上京。早稲田大学教育学部を卒業後、音楽之友社へ入社。1963(昭和38)年、作曲家としてデビュー。1967(昭和42)年、伊東(いとう)ゆかりさんが歌った「小指の想い出」が大ヒット。以後、八代亜紀(やしろ あき)さんの「なみだ恋」など数々の大ヒット曲を生み、1998(平成10)年には、香西(こうざい)かおりさんの「浮雲」で日本レコード大賞第1回吉田正(よしだ ただし)賞を受賞。2005(平成17)年、旭日小綬章(きょくじつしょうじゅしょう)を受章。

ふるさと一言Q&A

Q.ふるさとの好きな場所は? やっぱり防府天満宮です!
Q.他県の方にお薦めの山口県の観光地は? 萩の武家屋敷や松下村塾(しょうかそんじゅく)。
Q.帰郷すると食べたくなる物は? フグ料理、外郎(ういろう)、そして日本一おいしい焼き抜きかまぼこ!
Q.山口県のおみやげといえば? 萩焼!わたし自身、コーヒーも日本茶も萩焼で飲んでいます。飽きない魅力がいいですね。

防府天満宮防府天満宮
松下村塾松下村塾
フグ料理フグ料理
萩焼萩焼

鈴木さんは、代々、防府天満宮の神職を務める家にお生まれになったそうですね。

鈴木さんはい。わたしの生家は参道の石段の脇、今は茶室「芳松庵(ほうしょうあん)」が建っている所にあったんですよ。幼いころから音楽が好きで、おもちゃ代わりに雅楽の笙(しょう) を吹いたり、太鼓をたたいたりしていたものです。

防府天満宮の最大のお祭りといえば「御神幸祭(ごじんこうさい)」、別名「裸坊(はだかぼう)まつり」。子どものころ、その日はどんな日でしたか?

鈴木さん当時は今よりもっと多くの方が、裸坊として祭りに参加しに県内外から来られていたんです。まだ深夜に近い早朝から、今はJR防府駅となっている三田尻(みたじり)駅から「ワッショイ!ワッショイ!」。その声がだんだん近付いてきて、石段を上がってくるんです。だから、寝ていても目が覚めて、もうワクワク。その日になると父は一日中忙しくて、子どもたちのことはほったらかし。でも、代わりに露天商の人たちが、わたしを可愛がってくれてジュースをくれたり…。あの甘い香りのする赤いニッキ水、何ていう名前だったかなあ。露天商の人たちとのやりとりも楽しくて…。懐かしいですね。

今年の御神幸祭は11月27日(土曜日)。今年もそれに合わせて帰郷され、翌日には、防府出身の作曲家・大村能章(おおむら のうしょう) (※)先生を顕彰する「能章まつり歌謡コンクール山口県決勝大会」の審査員長を務められるそうですね。

鈴木さんはい。わたしは東京で編集者として働くうちに、体調を崩して一時帰郷し、三田尻女子高校(現在の誠英高校)で先生をしながら作曲家になることを夢見て、趣味で曲を書いていたんです。その後、再び東京で働くことになり、能章先生に手紙を出し、お宅を訪ねて行ったことがあるんです。その時、先生は私の曲を褒めてくださり、レコード会社への推薦状まで書いてくださったんです。ところが、それからわたしは仕事が忙しくなってレコード会社へ行けず、先生の方から「まだ行っていないそうじゃないか」とわざわざ電話をいただいたんです。「すみません!行きます!」と答えたものの、先生がご紹介くださった方がレコード会社を辞められ、結局、先生のご厚意に応えられなかったんです。その後、作曲家としてデビューすることができ、先生にお礼を言いたくて、お宅を訪ねたのですが、その時にはもうご病気で…。先生は今もわたしにとって一番の先生。能章まつりにかかわれることは、本当に光栄なことです!

最後に、山口ふるさと大使として、応援メッセージをお願いします。

鈴木さん山口県は、素晴らしい県だと思います。でも、若い人たちに、まちづくりに夢を持ってもっとかかわってほしいですね。明治維新を成し遂げたのは若い人たち。ふるさとのまちづくりに燃える若者を育てていってください!


※大村能章 1893(明治26)年生まれ、1962(昭和37)年没。代表作は「旅笠道中」「野崎小唄」「麦と兵隊」「同期の桜」など。

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