おもしろ山口学

山口の守護大名 大内氏

第3回:我は百済王の子孫なり

国際的な視野を持った異色な守護大名だったことを紹介します。

ルーツを源平藤橘(げんぺいとうきつ)(※1)に求めた大名が多い中、大内氏は、それを朝鮮半島に求めた異色の守護大名でした。14世紀、大内義弘(おおうち よしひろ)は、倭寇(わこう)(※2)に悩まされていた朝鮮半島の高麗(こうらい)から鎮圧を求められ、軍を派遣。高麗の次の朝鮮王朝へは使いを派遣し、交易を始めます。やがて倭寇による被害が減り、朝鮮王朝からの信頼が増した義弘は、大内氏は百済(くだら。朝鮮半島南東部にあった国)の王の子孫だと述べ、先祖ゆかりの地の割譲を、朝鮮王朝の国王に求めたことが記録に残っています(※3)。

大内氏の交易で特筆されるのが、高麗版大蔵経(だいぞうきょう)(※4)の輸入です。日本に当時、大蔵経の板木はなく、朝鮮半島でも数が限られた大蔵経の所蔵は、寺社の権威につながったと考えられます。大内氏は、その貴重な高麗版大蔵経を朝鮮王朝に20回近くも求め、ほかの大名などはほとんど得ていないのに対し、足利将軍に次いで多い数の輸入を実現しています。

朝鮮王宮風の瓦を用いた寺が山口に

大内氏と朝鮮半島との深い関係は近年、山口市にある大内氏ゆかりの乗福寺(じょうふくじ)跡発掘調査からも明らかになりました。朝鮮半島に多い、14世紀末ごろと推測される国内最古級の滴水瓦(てきすいがわら)(※5)が出土したのです。それらは製作技法から、朝鮮半島の技術者によるものと考えられています。しかも、その滴水瓦には、朝鮮半島では王宮のみに使われた龍の文様があり、ワシの頭を模した瓦、鳳凰の文様入りの瓦も出土しています。それらから、乗福寺には、大内氏が百済王の子孫だとアピールするため、朝鮮王宮風の瓦を用いた建造物が立ち並んでいたと推測されています。

また、大内氏館跡からは、将軍や有力大名に流行した、座敷飾に珍重された唐物(からもの)(※6)のつぼや、朝鮮半島の青磁枕などの高級陶磁器が出土しています。中には、将軍家の座敷飾の秘伝書『君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)』に紹介された、唐物のつぼに酷似した中国産のつぼも見つかっています。後に中国との貿易を独占した大内氏。全国的にもまれな、国際的なスケールの守護大名だったのです。

※1 源氏、平氏、藤原氏、橘氏。
※2 海賊や私貿易を目的とした人々。
※3 土地の割譲は実現しなかった。
※4 約7千巻もの仏典の集大成。韓国の海印寺に高麗版板木が現存し、収蔵庫はユネスコ世界遺産。
※5 軒先を飾る下向きの半円形の瓦。
※6 中国から輸入された美術品。

参考文献
伊藤幸司「大内氏の国際展開」『山口県立大学国際文化学部紀要』11 2005、須田牧子「中世後期における大内氏の大蔵経輸入」『年報中世研究』32 2007、山口市教育委員会『乗福寺III』2004、山口市教育委員会『大内氏館跡XI』2010など

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