おもしろ山口学

山口の守護大名 大内氏

第2回:妙見信仰と領国支配

大内氏があがめた北極星。200年の栄華を支えた妙見信仰について紹介します。

弘世(ひろよ)から始まった大内氏の栄華。しかし、家督の相続では、兄弟同士などで度々戦い、平穏な200年ではありませんでした。

弘世が現在の山口県である周防(すおう)・長門(ながと)国を手中にする前、足利幕府から任じられた周防国の守護は、鷲頭庄(わしずのしょう。現在の下松(くだまつ)市)を拠点とした、大内氏と同族の一族でした。14世紀半ば、弘世は、その一族や長門国の守護だった厚東(ことう)氏を倒し、足利幕府から周防・長門国の守護に任じられます。

大内氏は、現在の山口市にある氷上山興隆寺(ひかみさんこうりゅうじ)を氏寺としていました。15世紀後半、政弘(まさひろ)は、興隆寺を勅願寺(ちょくがんじ)(※1)とするため、朝廷に大内氏の系譜を提出します。そこには、推古天皇の時代、鷲頭庄の松に星が降って3年後に百済(くだら。朝鮮半島南東部にあった国)から琳聖太子(りんしょうたいし)(※2)が来日することを予言されたという伝承や、鷲頭庄の妙見社から妙見尊星王(みょうけんそんじょうおう)を興隆寺に勧請(※3)したことが記されていました。

北極星を領国の安定に重ねた大内氏

妙見尊星王とは、妙見(北辰)菩薩のこと。北辰は、北極星や北斗七星を意味し、北を護る玄武(げんぶ)(※4)の姿、つまり亀に蛇が巻き付いた姿でも表されます。宇宙を支配するかのように天の中心にある北辰をあがめたのは、中国の民間信仰の道教。日本で道教に仏教や陰陽道(おんみょうどう)の要素が加わったのが妙見信仰で、妙見菩薩は「亀に乗った童形(どうぎょう)(※5)」の姿で表されることがあります。

中世は、武士がタカ狩りを好んだ時代でしたが、政弘はタカの餌にするために、妙見信仰につながる亀やスッポン、蛇を捕ることを禁じます。また、大内氏全盛期の政弘・義興(よしおき)・義隆(よしたか)は、幼名を「亀童丸(きどうまる)」と付けられていました。さらに、領国全体の家臣が奉仕した興隆寺の最大行事「二月会(にがつえ)(※6)」では、嫡子である亀童丸のみ(※7)が、聖域の中心、氷上山上宮に参詣できました。次の当主に神秘性をまとわせることで、家臣団の秩序を保とうとしたのでしょうか。

かつて、家督争いの悲劇を重ねた大内氏。妙見信仰を通じて、領国の安定を図ろうとしたと考えられています。

※1 天皇の発願による、国家鎮護を祈る寺。
※2 百済の聖明王(せいめいおう)の第3王子とされる。
※3 祭神の分霊をほかの神社に迎えて祭ること。
※4 四方を司る四神(しじん)の一つ。
※5 童形とは、結髪していない(おかっぱ頭をした)人の姿。
※6 豊作や領国の安定などを祈った祭事。
※7 供をする子どもも同行。

参考文献
平瀬直樹「大内氏の妙見信仰と興隆寺二月会」『山口県文書館研究紀要第17号』1990
金谷匡人「大内氏による妙見信仰の断片」『山口県文書館研究紀要第19号』1992

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