2010年5月28日Vol.189山口県広報広聴課

おもしろ山口学

山口県文書館蔵「幕末維新期の古写真」から見えてくるもの

健武隊士写真(県文書館 蔵)
健武隊士写真(県文書館 蔵)
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 県文書館では、6月1日(火曜日)から6日(日曜日)まで「第5回中国四国地区アーカイブズウィーク」として、同館所蔵の「長州藩(※1)幕末維新資料」の展示を行います。展示品の中でも、特に「健武隊士(けんぶたいし)の写真」(写真参照)など3点のガラス湿板写真(※2)はオリジナル原板として大変貴重なものです。
 健武隊(※3)は、幕末維新期に長州で結成された軍事組織「諸隊」の一つです。諸隊の数は延べ400以上に上り、そのうち最も有名なのが「奇兵隊」です。奇兵隊は、1863(文久3)年5月、関門海峡での攘夷(じょうい)実行後、アメリカの軍艦などから報復攻撃を受けたのを機に翌月、萩藩士の高杉晋作(たかすぎ しんさく)が身分を問わず志のある者を募って下関で組織したもの。その後、各地で続々と諸隊が誕生。洋式の軍備が急務だと実感した藩によって軍制改革が進められる中、諸隊は長州の軍事力の柱となっていきました。
 写真の中で興味深いのは、後列右から2番目の人物が身に付けている上着です。諸隊の軍服は当初、身分によって異なっていましたが、1867(慶応3)年9月、身分に関係なくほぼ統一され、「呉絽服(ごろふく)を洋風に仕立てたものを支給する」とされました。呉絽服とは、舶来の毛織物で羊毛や綿、麻を交えて織った服のこと。この人物の上着こそ、呉絽服の上着と思われます。
 また、諸隊の軍服はズボンとなったため、はかまの時のように刀を腰に差せなくなったのか、いすに座っている人物の刀を見ると、ひもが幾重にも巻き付けられています。刀をサーベルのように腰からぶら下げたのではと推測され、和装から洋装へと変化していく過渡期の軍服の様子がうかがえます。
 ガラス湿板写真は割れやすいことなどから現存する幕末維新期のものは多くありません。しかも、紙に焼き付けた写真ではなく、原板だけに着物の柄や爪の先など細部まで鮮明に分かり、当時の姿を生き生きと伝えてくれます。

  • ※1 萩藩やその支藩を含む。現在の山口県
  • ※2 ガラス板に感光液を塗り、それが湿った状態で撮影する方法。
  • ※3 「膺懲隊(ようちょうたい)」と「第二奇兵隊」が1868(明治元)年12月に合併して編制されたもの。よって、写真は同年12月以降の撮影。