2010年2月12日Vol.183山口県広報広聴課

「山口ふるさと大使」に聞きました

 山口県では、県外で活躍中の山口県にゆかりのある方に、「山口ふるさと大使」へ就任いただき、全国に向けた、山口県のさまざまな魅力のPRにご協力いただいています。
 毎月、第2週目の配信号で、「山口ふるさと大使」に山口県への思いなどをお聞きしています。

第9回 澄川喜一(すみかわ きいち)さん

澄川喜一さん
澄川喜一さんは現在の島根県吉賀(よしか)町(旧六日市(むいかいち)町)出身、1931(昭和6)年生まれ。1951(昭和26)年、山口県立岩国工業高等学校を卒業。1952(昭和27)年、東京芸術大学彫刻科に入学し、日本近代彫刻界の巨匠・平櫛田中(ひらぐし でんちゅう)に塑造を学びます。その後、東京芸術大学彫刻科の講師、助教授、教授を経て、1995(平成7)年に学長に就任、2001(平成13)年に退官。第1回神戸須磨離宮公園現代彫刻展での宇部市野外彫刻美術館賞、第8回平櫛田中賞、第8回現代日本彫刻展での宇部市野外彫刻美術館賞など受賞多数。紫綬褒章、紺綬褒章受章。「そりのあるかたち」シリーズの作品で知られます。山口県関係では現在、県文化振興財団理事長、シンフォニア岩国名誉館長、現代日本彫刻展運営委員などを務められています。


「山口ふるさと大使」に就任された感想はいかがですか。

[澄川さん]
誇りに思います。山口県には、恩師もたくさんおられますし、わたしが今、彫刻家として活躍できるのも山口県のおかげだと思っています。

高校時代を岩国市で過ごされ、1950(昭和25)年、キジア台風で錦帯橋が流されたのを見たことが、先生に大きな影響を与えたそうですね?

錦帯橋
[澄川さん]
ええ。錦帯橋を初めて見たのは小学生の時。「きれいな橋だなあ」と思いましたね。岩国の高校に進んでからは、よく、錦帯橋へ写生に行ったり調べたりしていて、落ちるはずがないと思っていたんです。だから今、あの時を思い出してもゾクっとしますよ。錦帯橋には、5種類の木が性質に合わせて適材適所に使われている。それを知って、わたしは彫刻をやろうと思うようになったんです。木造であれだけの素晴らしい橋は世界でほかに例がありません。


そのほかにも、山口県内に思い出深い場所があるそうですね?

第23回UBEビエンナーレ09' 現代日本彫刻展 大賞受賞作 Yom Sang Uk『Self-consciousness』
[澄川さん]
宇部市ですね。宇部市は、街並みに環境造形を…と野外彫刻を設置し始めた国内で先駆けの地。宇部市ときわ公園での「現代日本彫刻展」(現「UBEビエンナーレ」)に、1965(昭和40)年の第1回から招待してもらって作品を出し、それが評価され、いわば宇部で勉強させてもらったようなもの。UBEビエンナーレは今や世界各国のアーティストが知る国際的な彫刻展!山口県の皆さんもぜひもっと誇りにしてください。

県庁の前庭にある先生の作品「鷺舞(さぎまい)の譜」は県庁のシンボル的な存在です。昨年12月に先生自ら費用をご負担いただいて、化粧直しをしていただき、本当にありがとうございました!さらに、先生に立ち会ってもいただいて。

「鷺舞の譜」を化粧直しする澄川喜一さん
[澄川さん]
あの作品や県庁の正門周辺にある旧藩庁の堀の復元、裏庭の滝などは、わたしが今の県庁舎の建設計画に当たって依頼され、8年の歳月をかけて制作したものなんです。国会議事堂にも使われている強度の強い、周南市黒髪島(くろかみじま)産の御影石(みかげいし)を300トン使用して制作し、「吉田五十八(よしだ いそや)賞(※1)」を頂きました。その賞を受賞した県庁舎は山口県だけ。わたしにとって自分の子どものような、思いの詰まった作品です。


現在、東京都墨田区に建設中の自立式電波塔として世界一の高さ(634メートル)となる「東京スカイツリー®」のデザイン監修を手掛けられ、そのフォルムには、先生が長年テーマとしてこられた「そり」や「むくり(※2)」を取り入れているそうですね?

[完成予想図]北十間川の水景と東京スカイツリー
写真提供:東武鉄道株式会社・東武タワースカイツリー株式会社
[澄川さん]
ええ。錦帯橋は歩くと、かすかに揺らぐでしょ。つまり柔軟性によってかえって強度が増す構造なんですよ。そうした木の特性を生かした象徴的な物が法隆寺五重塔。錦帯橋や法隆寺五重塔は日本人の創意工夫と美の結晶。そのエッセンスであるそりやむくりを東京スカイツリーに取り入れたんです。無駄を省いた美しい形になりますよ!


竣工は、2011年12月予定。完成が楽しみですね。
最後に、山口ふるさと大使としてメッセージをお願いします。

[澄川さん]
山口県は文化的にいいものを持っている県です。長州ファイブ(※3)の山尾庸三(やまお ようぞう)はイギリスで造船を学び、技術を学ぶには感性も磨かなくてはと痛感し、1871(明治4)年工学寮、そして、1876(明治9)年に日本初の美術学校「工部(こうぶ)美術学校」を設立。それが現在の東京大学工学部、東京芸術大学なんです。これからも技術と感性を大事にした人づくりをしていきましょう!


  • ※1 建築家・吉田五十八(1894-1974)の功績を記念し、建築・建築関連美術において優れた作品と制作者に与えられた賞。1976年から1993年まで、全18回実施された。澄川さんは1988(昭和63)年に建築関連美術の部で受賞。
  • ※2 凸形に湾曲していること。
  • ※3 幕末、萩藩からイギリスへ留学した伊藤博文(いとう ひろぶみ)、井上馨(いのうえ かおる)、井上勝(いのうえ まさる)、遠藤謹助(えんどう きんすけ)、山尾の5人。