2010年1月22日Vol.182山口県広報広聴課

おもしろ山口学

坂本龍馬と下関 

【第2回】龍馬の危機を救った長府藩士・三吉慎蔵
印藤に贈られた龍馬愛用の飯椀と湯呑 (下関市立長府博物館 蔵)
印藤に贈られた龍馬愛用の飯椀と湯呑 (下関市立長府博物館 蔵)

 薩長同盟(連合)(※1)の仲立ちのため、下関を度々訪れるようになった坂本龍馬(さかもと りょうま)。長府(※2)藩主から厚い信頼を得ていた長府藩士の印藤聿(いんどう のぶる)と交流を深めていました。薩長同盟の締結に向け、萩藩の桂小五郎(かつら こごろう)が京で薩摩藩の西郷隆盛(さいごう たかもり)らと会うことになり、龍馬もそのために上京するに当たって、長府藩士の同行を求める手紙を印藤に送りました。印藤は2人の藩士を推薦。そのうちの1人、槍(やり)の名手で謹厳実直な三吉慎蔵(みよし しんぞう)を龍馬は選び、1866(慶応2)年1月、下関から船で一緒に京へと向かいました。
 下船した大坂で、龍馬は旧知の幕臣から、幕府の役人が龍馬らの動きを察知したため危険だとして退去を勧められます。しかし、危険を承知の上で龍馬らは京へ。途中、三吉は手槍(※3)を購入し、伏見(ふしみ)の寺田屋に残ります。
 そして、京でようやく薩長同盟が締結され、それを見届けた龍馬は寺田屋で待っていた三吉の元に戻り、祝杯を挙げることに。そこへ幕府の役人の探索が入ります。その時、後に龍馬の妻となるお龍(りょう)(※4)が階下にいて、2階の2人に急を知らせますが、役人は2人を襲撃。龍馬は萩藩士の高杉晋作(たかすぎ しんさく)からもらった銃で応戦しますが、手に重傷を負い、窮地に陥ります。三吉は手槍で龍馬を援護し、2人は命からがら寺田屋を脱出。そして、龍馬と三吉とお龍の3人は京の薩摩藩邸にかくまわれることとなり、龍馬は数日後、下関の印藤に事件のことと、三吉も一緒に薩摩藩邸にいるので安心してほしいと書いた手紙を送っています。
 同年3月、3人は京をたつことになり、西郷らと薩摩藩の軍艦に乗船。下関で船を下りた三吉は、餞別(せんべつ)に赤間硯(あかますずり)(※5)を薩摩に向かう龍馬や世話になった西郷らに贈ります。
 龍馬と、その危機を救った三吉、印藤との間には、深い友情がはぐくまれ、後に龍馬夫妻が下関で暮らしたのは、彼らとの友情があったからかもしれません。

  • ※1 薩摩藩と萩藩との間でひそかに結ばれた和解・提携。
  • ※2 現在の下関市の多くを領地とした藩。萩藩の支藩の1つ。
  • ※3 家の中や狭い場所で使用する短い槍。
  • ※4 当時はすでに結婚していたという説もある。
  • ※5 北九州および山口県西部地域でとれる赤間石を用い、赤間関(あかまがせき)(現在の下関市)で作られたのが始まり。現在では、宇部市万倉(まぐら)などで作られている。硯の高級品として知られる。

参考文献『龍馬とお龍の下関』(下関市立長府博物館学芸員 古城春樹著)

下関市立長府博物館では現在、常設企画展「坂本龍馬と下関」が1月31日(日曜日)まで開催中です。