2009年11月27日Vol.178山口県広報広聴課

おもしろ山口学

画家・松田正平の世界[後編]

松田正平(撮影 村上征雄)
松田正平(撮影 村上征雄)

 松田正平(まつだ しょうへい)が東京へ移ったのは1952(昭和27)年、39歳の時のこと。しかし、都会での生活は彼の絵の制作には不向きで、自然豊かで広々とした所を求めて1963(昭和38)年、千葉県市原(いちはら)市へ移ります。そしてそのころから、透明感のある独特の画風が確立されていきます。
 その画風は、絵の具を塗り、塗り重ねてはふき取り、かみそりで削り、また塗るということを何度も繰り返して生まれるもの。1つの作品を完成させるまで長い歳月がかかり、アトリエにはいつも描きかけの油絵が何点も散らばっていたといいます。
 彼の絵が高く評価されるようになったのは、美術評論家の故・洲之内徹(すのうち とおる)がその絵に出会ってほれ込み、美術雑誌で度々取り上げたことがきっかけでした。そして1984(昭和59)年、松田が71歳の時、第16回日本芸術大賞を受賞。3年後には、初の大回顧展「松田正平展」が山口県立美術館で開催され、以後、多くの人々がその絵の世界に魅せられていきました。
 作品には、愛犬、彼が丹精を込めて育てたバラ、彼が何度も訪れた上関(かみのせき)町祝島(いわいしま)の風景など、同じ題材がなぜか数多くあります。絵と同様、彼の書にも、何ともいえない味があり、特に好んで書いたのが「犬馬難鬼魅易(けんば かたし きみ やすし)」という言葉でした。これは中国の古くからの言葉で、「形のない鬼を描くのは易しいが、身近な犬や馬を描くのは難しい」といった意味。そこに彼が身近ないとおしい命あるものの美しさを繰り返し描き続けた理由の一端があるのかもしれません。
 彼が帰郷して宇部市にアトリエを構えたのは1995(平成7)年、81歳の時のこと。その後も「油絵はいまだに分からん。今度はこうしたら多少良くなるかなあと思って。だから描き続けているんでしょうよ」と制作を続け、2002(平成14)年には文化庁長官賞を受賞。2004(平成16)年1月に宇部市で開催された大規模な「松田正平展」には、全国各地から大勢のファンが訪れました。しかし、そのころから体調を崩し始めていた彼は同年5月、91歳の生涯を終えたのでした。