2009年10月23日Vol.176山口県広報広聴課

おもしろ山口学

数百年眠り続けた、大内氏の出版文化を物語る「大内版法華経板木」

大内版法華経板木(上)と、後に試し刷りされたもの(下) 県文書館蔵
大内版法華経板木(上)と、後に試し刷りされたもの(下)
県文書館蔵

 墨で真っ黒になった古い板から浮かび上がる、左右反転の精緻な文字…。県文書館の所蔵品に、大内氏の栄華の時代を物語る国指定重要文化財「大内版法華経板木(おおうちばんほけきょうはんぎ)」があります。大内版法華経板木とは、室町時代、山口市にある大内氏の氏寺(うじでら)・氷上山興隆寺(ひかみさんこうりゅうじ)で法華経の経典を出版するため、全8巻28品(ほん)からなる経文を59枚の板の両面に浮き彫りにした板木のこと。1枚の大きさは、およそ縦25センチ、横94センチ、厚さ2センチ足らずのものです。
 大内氏は室町時代、山口を本拠地とし、明(中国)などとの貿易による財力や武力を背景に栄えた西国一の守護大名。文化への関心も高く、国内外の貴重な書籍を収集し、出版事業まで手掛けていました。その大内氏によって出版された書籍類を「大内版」といい、興隆寺で開版(※1)された法華経板木は大内版の一つです。室町時代は、出版が中央だけでなく地方でも、特に一部の有力な大名や寺院によって行われ始めていった時代。大内氏が出版を行っていたことは、文化を普及させようという高い見識を持ち、地方から出版という文化を発信していた証しでもあります。
 板木に刻まれた文字から、59枚のうち55枚は、大内政弘(おおうち まさひろ)の時代の、1482(文明14)年から1490(延徳2)年までに開版されたことが分かります。残り4枚は、損傷した初版の板木を補うため、1572(元亀3)年から1578(天正6)年にかけて作られたもの。この時すでに大内氏は滅亡し、山口は毛利元就(もうり もとなり)の領地となっていました。
 板木は印刷を重ねるにつれ摩耗し、棄てられるため、古い板木が残ることはまれです。しかし、大内氏の滅亡と共に、大寺院だった興隆寺も衰退したため、大内版法華経板木は忘れられ、興隆寺の天井裏で眠ったままに。それがかえって幸いして数百年間無事に永らえたのかもしれません。そして1998(平成10)年、大内版法華経板木は開版の時期や願主(※2)、彫った僧侶の名前なども分かる上、開版から500年以上を経た今も、すべての板木がそろった全国的にも非常に貴重なものとして、国の重要文化財に指定されたのでした。

  • ※1 出版のための板木を作ること。
  • ※2 願いを立てた人。