2009年7月10日Vol.169 山口県広報広聴課

おもしろ山口学

花押に秘められた物語

大内持世の花押(県文書館蔵)
大内持世の花押
(県文書館蔵)
足利義教の花押(県文書館蔵)
足利義教の花押
(県文書館蔵)

 平安時代半ばから江戸時代にかけて、手紙や公的文書には、署名の下に「花押(かおう)」が記されていました(写真参照)。現代のサインといえる花押は、名前の一部などを図案化・文様化したものです。しかし、単にサインというだけでなく、そこからさまざまな物語が読み取れることがあります。
 花押は本人が書いたことを証明するもので、模倣されないことを意識して作られました。そのため、署名がなくとも、花押があれば書いた「人」を推定できます。一般的に同一人物でも政治的な立場が変わると花押も変わることもあることから、書かれた「年代」を推定する有効な決め手ともなります。
 また、花押は本人の家の始祖や中興の祖、主君の花押をまねることが多く、そこからはその人にあやかりたいという「意識」がうかがえます。さらに、花押から「権力者とのつながり」も見えてきます。室町時代、山口を拠点とした守護大名・大内(おおうち)氏の花押は、将軍・足利(あしかが)氏の花押を手本としています。なかでも、大内持世(もちよ)の花押は、よく似ていました。大内持世は、将軍・足利義教(よしのり)の支援により当主の座に就いた人物。将軍とのつながりの深さは皮肉にも大内持世の運命を左右します。1441(嘉吉(かきつ)元)年、足利義教は宴の最中に暗殺されるのですが、そのとき大内持世も同席していて重傷を負い、それがもとで亡くなるのです。
 そのほか、花押は「心身の状態」を知る手掛かりにもなります。戦国大名・毛利元就(もうり もとなり)の手紙には、別人が書いたのかと思うほど、なぜか弱々しい、乱れた花押が書かれたものがあります。その理由は「歯が痛くて臥(ふ)せている」と書かれた一文にあり、元就が痛くて寝たまま書いたためか、乱れた花押からは痛々しいほどの心身の状態が浮かび上がります。
 人名・年代を推定する有効な決め手だけでなく、意識、権力者とのつながり、心身の状態を知る手掛かりにもなる花押。そこには、さまざまな物語が秘められているのです。