2009年6月26日Vol.168 山口県広報広聴課

おもしろ山口学

萩藩の文書管理-勝手に棄てるな-

県文書館書庫の様子 御仕置帳 県文書館蔵
県文書館書庫の様子
御仕置帳 県文書館蔵

 県文書館には、旧萩藩主毛利家から寄託された約5万点もの文書(毛利家文庫)が保存されています。江戸時代の藩の文書がこれほど多く現存するのは全国でも珍しいことです。これら大量の文書が、江戸時代、どこに保存されていたのかは最近まで謎でした。
 その解明の手掛かりは、藩の裁判記録である「御仕置帳(おしおきちょう)」の中にありました。この記録には、1820年代に起きた藩の文書の盗難事件が書き留められています。事件は、藩の下級武士と藩のお抱え能役者が、萩城の南御門櫓(やぐら)の土手にカヤを採りに行った際、櫓の戸の破損箇所から、中に古い文書が積み上げられているのを見かけ、それらの紙を不要物と思い込み、ふすま張りなどに使おうと密かに持ち帰ったことが発端でした。実はその文書は、「上勘所(じょうかんしょ)」(※1)という役所が保存していたものだったのです。2人はやがて10カ月間で計約90キロもの文書を盗み出し、古物商に売って金銭を得ていたのですが、萩城下の店先で藩の文書が売られていることに藩の役人が気付き、事件が発覚したのです。
 この事件の調査・研究を通じて、萩藩では、本来戦争に備えて築いた萩城の櫓を、次第に文書の保管庫へと転用していたことがわかりました。また、各役所が文書を棄(す)てる場合、藩の上級役所である「当職所(とうしょくしょ)」(※2)の許可が必要だったことや、定期的に文書を整理し、後の業務に参考になりそうな文書は萩城の櫓に運んで保存し、10数年ごとに大掛かりな選別を行うルールがあったことも判明しました。しかし、この事件が起きたときは、大掛かりな選別はしばらく忘れられていたのか、文書は櫓の中で長持ち(※3)43棹(さお)と、さらに約8畳の空間に文書が約2メートルに及ぶほど積み上げられた状態だったといいます。
 今や萩藩の文書はすべて宝。「勝手に棄てるな」という萩藩のルールがあったおかげで、当時の人々の生きた証しに触れられるのです。


※1 萩藩各役所の米・銀などの収支を監査した役所
※2 萩藩で藩の財政・民政を統括した役所
※3 衣類や蒲団、調度品等を入れておく長方形をした蓋(ふた)付きの大きな箱