2009年5月22日Vol.166 山口県広報広聴課

おもしろ山口学

絵図を作った男たち -萩藩絵図方の挑戦- 江戸時代の巨大ジグソーパズル

吉敷郡吉田村(現在の山口市吉田)の清図
吉敷郡吉田村(現在の山口市吉田)の清図
県文書館蔵
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1986年に清図を接合した時の様子
1986年に清図を接合した時の様子

 今年、県文書館は開館50周年を迎えました。今回は、県文書館の所蔵品の中から、萩藩が作成した「地下上申(じげじょうしん)絵図」を紹介します。
 「地下上申絵図」は、萩藩の領内全550余りの村ごとの絵図で、当時の周防国(すおうのくに)と長門国(ながとのくに)両国にわたっており、このように広域に及ぶ村ごとの絵図は全国的に例がありません。絵図には、「地下図(じげず)」と「清図(せいず)」の2種類があり、特に清図の方は美しく彩色され、しかも、一村ごとに村境に沿って切り抜かれたユニークな形をしています。
 この絵図は藩内の地理に関する仕事を担っていた萩藩絵図方(えずかた)によって、1727(享保12)年から1753(宝暦3)年にかけて作成されたと推測されています。当時は村の境界があいまいで、境界付近では、税の徴収をはじめ、肥料やまき用の草木の収集・伐採などを発端にしたもめ事が多発していました。そのため、藩が境界を明確にして管理するために、こうした絵図を作ったと考えられます。その作成方法は、各村の庄屋から境界や家・街道・河川などを書いたもの(地下図)を提出させ、それを藩の絵図方が清書(清図)する形で行われました。清図の縮尺は3600分の1。地名や山名が詳細に記されており、街道は赤線で、人家や寺院、一里塚などは記号で示され、境界についての注意書きも記されています。村境付近には、いろは文字が書かれており、それを目安に接合できるようになっている点が特徴です。
 この膨大な数の地下上申絵図は果たして実際につながるのか、1986(昭和61)年に試したことがあります。長門国だけで完成まで6時間を要したものの、実際に郡単位でほとんどがつながり、長門市向津具(むかつく)半島から萩市田万川(たまがわ)まで直線距離で約19メートル。まさに巨大なジグソーパズルでした。


参考文献 『山口県文書館研究紀要』ほか