コンテンツ2009年4月24日Vol.164 山口県広報広聴課

幕末の萩の商人 梅屋七兵衛

梅屋七兵衛肖像
梅屋七兵衛肖像
萩博物館蔵
  幕末、関門海峡で攘夷を実行するも、四国※1連合艦隊の報復により完敗を喫した長州藩は、欧米諸国の強大な軍事力を実感し、このままの軍備では日本は外国に植民地化されるという危機感を募らせるようになります。さらに、幕府による長州征討が迫り、長州藩は軍備体制の近代化を急ぎ、洋式の武器を調達することとしました。しかし、幕府と対立する長州藩が洋式の武器を手に入れるには密輸するしかなく、藩は藩士らに密輸するよう密命を下すのですが、その密命を受けた者の中に、萩の商人で北国(ほっこく)問屋※2を営んでいた梅屋七兵衛(うめや しちべえ)がいました。
 1865(慶応元)年4月、七兵衛は鉄砲1,000丁購入の密命を受け、長崎へ赴きます。七兵衛は外国人の商人と交渉を重ねますが、言い値が高く、交渉を中止。あらためて別のイギリス商人と交渉したところ話がまとまり、自分で調達した3,000両の契約金を渡しました。ところが、先に商談を受けていた商人はこれを恨んで長崎奉行に密告。七兵衛は拘束されてしまいます。しかし、七兵衛はいったん宿に帰された際に監視の目を盗んで、契約相手のイギリス商人と上海へ逃亡。イギリス商人は鉄砲を調達しにイギリスへ帰り、七兵衛は一人、上海で待ちます。そして1年後、鉄砲1,000丁を運んで迎えに来たイギリス商人の船で現在の長門市仙崎へ帰着。地元では、異国船が来たと大騒ぎになりますが、七兵衛が下船し事情を説明。鉄砲は無事に長州藩へと引き渡されました。七兵衛は、この命懸けの行為によって、長州藩から永代名字を名乗ることと帯刀が許されたのでした。
 やがて、この鉄砲は戊辰戦争※3で使われ、長州藩の属する新政府軍を勝利に導きました。
 七兵衛は、晩年、萩で小堀遠州(こぼりえんしゅう)流の武家茶道を教えながら静かに暮らしたといわれ、茶室のある旧宅は今も萩市浜崎町に残っています。

  • ※1 イギリス、フランス、オランダ、アメリカ
  • ※2 北前船と取り引きする問屋。
  • ※3 1868(慶応4・明治元)年から1869(明治2)年まで行われた新政府軍と旧幕府側との戦い。この戦いで新政府軍が勝利したことで明治新政府が誕生する。
参考文献『萩市史』など



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