コンテンツ2009年4月24日Vol.164 山口県広報広聴課

菊ヶ浜土塁・「女台場」

女台場 石碑
女台場 石碑
  萩には、幕末の動乱期、老若男女や身分を問わず、あまたの人々の協力により、海岸線の防御のため築かれた土塁(※1)があり、「女台場(おなごだいば)」と呼ばれています。
 1863(文久3)年5月、長州藩は関門海峡でアメリカの商船、フランス、オランダの軍艦を砲撃し、攘夷(じょうい)戦を実行します。しかし、翌月、アメリカやフランスの軍艦からの報復攻撃によって長州藩の軍艦は壊滅状態に、砲台があった前田の村落(現在の下関市前田)は焼き討ちされました。このことが萩に伝わると、藩の経済を支えていた商人の町・浜崎町の人々は、自分たちの手でまちを外敵から守ろうと、菊ヶ浜(※2)に土塁を築くことを藩へ願い出て、許可されます。工事の責任者となったのは浜崎町の豪商・須子半兵衛(すこ はんべえ)。工事には、萩城下町、近郊の村々から町人や藩士とその妻子、やがて上級武士の妻子や城の奥女中まであらゆる階層の人々が参加するようになりました。藩は工事の士気を高めるため、倹約令(※3)で禁じていた絹の着用を自由とし、歌い踊ることや酒も勝手次第としました。着物を新調して美しさを競う人や酒食にふける人まで現れ、結局、後に制限令を出すほどでした。そうした活気の中で9月には、長さ100メートルから300メートル、高さ5メートルもの土塁が6ヵ所に完成します。
 菊ヶ浜のこの土塁は、当時、工事を手伝うことが考えられなかった町家の妻子、諸士の妻や娘、さらにはお城の奥女中まで参加したことから、後に「女台場」とも呼ばれるようになりました。
 また、「女ながらも武士の妻 まさかのときには しめだすき」という一節のある萩の民謡「男なら」は、その工事の際、力を合わせて作業がはかどるよう、囃子歌(はやしうた)として生まれたものといわれ、今も萩で歌い継がれています。

  • ※1 土を盛り上げて築いた、とりでのこと。
  • ※2 萩城から浜崎港にかけて続く、白砂青松の浜
  • ※3 萩藩は財政再建のため、藩主から農民まで衣服や住居、食事も含めて質素な暮らしをするよう命じていた。
参考文献『萩市史』など



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