コンテンツ2008年12月12日Vol.155 山口県広報広聴課

狩野芳崖[後編] 波乱に満ちた生涯

山水図 山口県立美術館所蔵
山水図
山口県立美術館所蔵
  近代日本画の開拓者として知られる画家・狩野芳崖(かのう ほうがい)。幕末から明治半ばまでを生きた芳崖の生涯は、波乱に満ちたものでした。画業の研さんも、維新の嵐の中では中断せざるを得なくなりました。また、明治へと時代が変わると、廃藩置県により御用絵師としての身分を失い、画業のかたわら養蚕業や文具店などを営まざるを得ませんでした。それでも、絵は売れず、商売もうまくいかず貧苦はつのる一方でした。「長府にいては道は開けない」と考えた芳崖は1877(明治10)年に上京。しかし、西洋文化がもてはやされた時代に、彼の日本画は一向に売れませんでした。
 そんな芳崖に、人生最大の転機が訪れたのは、上京から5年後の50代半ばのこと。芳崖は、日本の伝統絵画の復興運動を進めていたアメリカ人のアーネスト・フェノロサに、日本画の革新者としての才能を見い出されます。芳崖はフェノロサの援助を得て、西洋画の遠近法や陰影法を取り入れるなど、新しい日本画の創造に取り組むようになります。フェノロサとの出会いから亡くなるまでのわずか5年の間に、『仁王捉鬼図(におうそっきず)』など意欲的な作品を次々に発表し、画壇の話題を独占します。
 芳崖は、画業のかたわら日本の美術界を担う人材の育成をめざし、東京美術学校(現在の東京藝術大学)の開設に力を注ぎます。そして、1887(明治20)年に設立が認められますが翌年、開校を目前にして病に倒れ、60歳でその生涯を閉じます。その絶筆となった名作『悲母観音図(ひぼかんのんず)』(国重要文化財)は、それまでの日本画にはなかった陰影の付け方など西洋画の手法を取り入れ、近代日本画の幕開けを告げる重要な作品として位置付けられています。


参考文献:『夢チャレンジ きらり 山口人物伝』(財)山口県ひとづくり財団

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