コンテンツ2008年11月28日Vol.154 山口県広報広聴課

狩野芳崖[前編] 芳崖という名に込められた思い

覚苑寺(長府)にある狩野芳崖像
  近代日本画の開拓者として知られる画家・狩野芳崖(かのう ほうがい)。彼は1828(文政11)年、長府藩※1御用絵師・狩野晴皐(せいこう)の長男として、長府(ちょうふ)(現在の下関市長府)に生まれました。父を師として絵を学んだ芳崖は、1846(弘化3)年、18歳の年に藩費支給による10年間の江戸留学を許され、当時4家あった将軍御用奥絵師・狩野家の中で最も栄えていた狩野勝川院雅信(かのうしょうせんいんただのぶ)の画塾に入門します。当時、14、15歳で入門が通例のところ遅い出発でしたが、たちまち頭角を現し、4年目には塾頭を務めるほどになりました。一般に10年かかる修業を5年で修めた芳崖でしたが、伝統を重んじる師と意見が異なったため、何度も破門されそうになります。
 1855(安政2)年、江戸留学を終えた芳崖は長府藩の御用絵師となり、翌年ごろから「芳崖」という号を使い始めています。「芳崖」という号は「狩野派の法の外に出る」、つまり誰のまねでもない独自の画風を目指すという思いから、最初は「法外」と名付けていましたが、幼少のころより禅の師であった覚苑寺(かくおんじ)※2の霖龍(りんしょう)和尚に、「意味は面白いが画家には似合わない」と助言され、「芳崖」に改めたといわれています。
 誰のまねでもない独自の画風を目指した芳崖は、その後、維新の嵐の中で波乱に満ちた人生を歩みながら、新しい時代にふさわしい日本画の創造に取り組んでいくことになります。

参考文献:『夢チャレンジ きらり 山口人物伝』(財)山口県ひとづくり財団
  • ※1 長門国(ながとのくに)豊浦郡(現在の下関市)の多くを領地とした藩。萩藩(毛利氏)の支藩。
  • ※2 下関市長府にある黄檗宗の寺院。狩野家の菩提寺でもあった。


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