コンテンツ2008年9月26日Vol.150 山口県広報広聴課

おもしろ山口学

錦帯橋 -その名前の由来-

紅葉と錦帯橋
  春は桜、夏は鵜飼い、秋は紅葉、冬は雪化粧と、錦の名のとおり四季折々の美しい風景を描き出す5連の木造アーチの「錦帯橋(きんたいきょう)」。その優美な姿形を見事に表すこの橋の名は、いかにして付けられたのだろうか。
 錦帯橋が創建されたのは江戸時代前期の1673(延宝元)年で、今から300年以上前のこと。当時は「大橋」と呼ばれることが多かったようである。
 史料の中で「錦帯橋」の名が最初に登場するのは、創建から約30年後の1706(宝永3)年。岩国の儒学者・宇都宮遯菴(うつのみや とんあん)が記した『極楽寺亭子記(ごくらくじていしき)』の中の「またいわく、錦帯橋、錦見(にしみ)の里に近きを以てなり」というくだりである。このように、錦見という地名から錦帯橋の名が付けられたという説がある。
 ほかにも、中国の風景に由来するという話がある。中国・杭州の帰化僧・独立(どくりゅう)からもたらされた『西湖遊覧志(せいこゆうらんし)※』。この中に登場する、湖に点在する小さな島々をアーチ状の石橋で結んだ堤の絵をヒントに、吉川広嘉(きっかわ ひろよし)が錦帯橋を創建したという。その堤こそが、杭州の西湖を分かつ、2.8キロメートルの堤・蘇公堤(そこうてい)である。これは11世紀末ころに、詩人としても有名な蘇軾(そしょく)が知事として赴任した時に、交通の便を良くするために築いた堤で、6つの石橋が架けられていた。その後、蘇公堤には桃と柳の木が交互に植えられ、橋と木の織りなす風景が美しく錦の帯のように見えたことから「錦帯」と呼ばれるようになったという。岩国の錦帯橋創建より100年以上前の話である。おそらく、広嘉と独立との会話の中で、この錦帯の名前が度々登場していたのだろう。広嘉もその華麗なたたずまいを表す名前としてこれ以上ふさわしいものはないという思いだったのではないだろうか。


取材協力/岩国徴古館学芸員 松岡智訓氏

※中国の杭州にある西湖について書いた本

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