コンテンツ2008年8月22日Vol.148 山口県広報広聴課

おもしろ山口学

松下村塾の人々 -人材とは育てるもの- 著/一坂 太郎(萩市特別学芸員)

松下村塾に掲示されている志士達の写真
松下村塾に掲示されている志士達の写真
  「人賢愚(けんぐ)ありと雖(いえど)も、各々一二(いちに)の才能なきはなし、湊合(そうごう)して大成する時は必ず全備(ぜんび)する所あらん」
どんな人間にも必ず可能性はあると信じた、吉田松陰の言葉である。
松陰が萩で主宰した松下村塾(しょうかそんじゅく)は、幕末から明治にかけての日本をリードした幾多の人材を輩出した。
幕末のころ非業に斃(たお)れた高杉晋作・久坂玄瑞(くさか げんずい)・吉田稔麿(よしだ としまろ)・入江九一(いりえ くいち)・寺島忠三郎(てらしま ちゅうざぶろう)・杉山松介・有吉熊次郎・赤祢武人(あかね たけと)・松浦松洞・時山直八・駒井政五郎などなど。
明治の新政権で重要なポジションに座った前原一誠(参議)・伊藤博文(初代内閣総理大臣)・山田顕義(やまだ あきよし)(初代司法大臣)・品川弥二郎(内務大臣)・野村靖(逓信大臣)・山県有朋(総理大臣)などなど。
驚かされるのは、彼らが塾の近所に住んでいた少年たちであったことだ。全国からえりすぐりのエリートを集めてきたのではないのである。
「人材がいない」などと愚痴をこぼしている指導者は指導者失格だ。人材とは探し回るものではない。指導者が育てるものなのである。
松下村塾が人材の宝庫と化したのも、松陰にまず、強烈に人間としての魅力があったからだろう。「日本が危ない」と感じるや、防備視察のため脱藩して東北に赴いたり、アメリカの黒船に乗って密航しようとしたりしたという「武勇伝」は、十代後半の少年たちの胸を激しく揺さぶるのに十分だったであろう。
机上の空論ではない。自ら捨て身になり時代に立ち向かう松陰の後ろ姿を見て、塾生たちは奮起したのである。教化するだけではなく、感化したところに、松陰の優れた指導者としての資質があったのだ。


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