コンテンツ2008年3月28日Vol.138 山口県広報広聴課

おもしろ山口学
郷土に生きた画家 香月泰男

【第1回】シベリヤ・シリーズ

シベリヤ・シリーズ「渚<ナホトカ>」
シベリヤ・シリーズ
「渚<ナホトカ>」
山口県立美術館所蔵
 自らの戦争体験や抑留生活を基に描いた全57点の作品群「シベリヤ・シリーズ」※1で有名な画家、香月泰男(かづきやすお)(1911~1974)。彼のライフワークとも呼べるこのシリーズは、復員直後に描かれた『雨』、『埋葬』から絶筆となった『渚<ナホトカ>』まで、約30年もの間続きました。その評価は、亡くなった後もさらに高まっています。
 このシリーズは、1943(昭和18)年の召集から、満州ハイラル(現在の中国東北部)での駐屯、戦後シベリアでの抑留、1947(昭和22)年の復員までの、彼の約4年半の体験を描いたもの。シベリアでは、いつ帰国できるか分からない不安の中、飢えと寒さとつらい強制労働で、多くの仲間が死んでいきました。この過酷な体験は、香月のその後の人生を決定付けるものとなりました。帰国後、彼は戦争への怒りと、同胞への鎮魂の思いをキャンバスにぶつけます。「シベリヤと日本、戦争と戦後、考えれば考えるほど私にはまだどこかちぐはぐで、しっくりしない部分が残っている。そこのところを埋めたいがために私は絵を描きつづける」と彼は著書『私のシベリヤ』(文藝春秋)の中で語っています。一切忘れてしまいたいつらい記憶でしたが、同時にこの記憶を忘れてしまってはいけないという思いが、絵筆をとり続けさせたといわれています。
 作品は、明るく温かい色彩の初期の2点を除き、黒とイエローオーカー※2を主とした色調で描かれた油絵です。絵の具のなかったシベリアの収容所で、すすを集め廃油で溶き、黒の絵の具を作って描いていた彼は、シリーズの制作過程で、既製の絵の具では本当のシベリアは描けないと感じます。シベリアでの黒を追い求め、試行錯誤の末、方解末(ほうかいまつ)※3と木炭の粉を用いた独自の絵の具を完成させます。また、壁のようなざらざらとした絵肌は、収容所で強いられた壁の漆喰(しっくい)塗りの体験に根ざしているといわれています。
 このシリーズ全点には、彼自身が解説を添えています。絵だけで伝えようとしても真の意図が伝わりきれないというもどかしさを解消したいという思いからだったといいます。

※1 シベリヤ・シリーズ全点は、山口県立美術館に所蔵されています。
※2 イエローオーカー:黄土色の一種
※3 方解末:石灰岩の主成分である方解石を砕いた日本画の顔料

【第2回】家族への愛、郷土への愛

ハイラル通信186
ハイラル通信186
香月泰男
 香月泰男は1911(明治44)年、大津郡三隅(みすみ)村(現在の長門市三隅)で生まれました。幼いころに両親と離別し、祖父母に育てられました。そんな少年の心を支えたのは、絵を描くこと。長じて、東京の川端画学校、東京美術学校(現在の東京藝術大学)西洋画科で絵を学び、美術教師となります。教職に就く傍ら、創作活動に励み、1939(昭和14)年には、第3回文部省美術展覧会で『兎』が特選に選ばれます。
 結婚して3人の子どもにも恵まれ、公私ともに順風満帆の歩みを見せ始めていた矢先、生活は一転します。1942(昭和17)年、31歳の彼のもとに召集令状が届き、翌年、満州ハイラルへと出征することになったのです。
  彼は、兵隊となっても自分が絵描きであることを忘れまいと、中学4年生の時に母に買ってもらった※絵の具箱を戦地に携えます。そして、軍隊生活の合間に、日々の訓練風景や家族との団らんの思い出などをはがきに描き、妻と3人の子供あてに送り続けました。この絵はがきは終戦前まで続き、自宅に届いたのは361通にも及びます。軍隊の生活の中で、毎日絵を描くのは大変なことです。にもかかわらず、はがきを出し続けた彼の心中には、絵描きとしての鍛錬を怠るまい、家族とのきずなを大切にしたいという二つの強い思いがあったのでしょう。これらは後に「ハイラル通信」と呼ばれ、帰国後の作品のモチーフにもなりました。
 1947(昭和22)年、過酷なシベリアから無事に復員できた彼は、自宅にアトリエを構え、二度とふるさとから離れることはありませんでした。絵の道にまい進するとともに、家族のきずなを大切にしました。幼くして両親と離別した彼は、戦争で家族と引き裂かれた状況を乗り越え、やっと手にした家庭のぬくもりを失いたくなかったのでしょう。
 以下は、彼の代表作シベリヤ・シリーズに添えられたことばです。「私はいま、シベリヤで幾夜夢に見続けた、自分の生まれ育った山口県の三隅町に住んでいる。(中略)ここが私の空であり、大地だ。ここで死にたい。ここの土になりたいと思う。思い通りの家の、思い通りの仕事場で絵を描くことができる。それが私の地球である」

※再婚していた母に初めて手紙を書き、油絵の道具一式を無心して買ってもらいました。

【第3回】「一瞬一生」-作品へのまなざし

おもちゃ「楽隊」
おもちゃ「楽隊」
香月泰男美術館所蔵
 黒とイエローオーカーの重い色調で描かれたシベリヤ・シリーズで知られる香月ですが、明るい色彩に満ちた作品群も描いています。台所の食材、花や昆虫などがそれです。彼は身の回りのものを好んで描き、生命の尊さや自然の美しさを表現しました。これらの作品の特徴は「一瞬に一生をかけることもある。一生が一瞬に思える時があるだろう」との彼の言葉に象徴されます。彼は、剣豪・宮本武蔵が死を意識して決闘に臨んだ心境のように、絵描きもこれが絶筆になるかもしれないという心構えで作品に臨むべきだと述べています。そして、徹底的に鉛筆でデッサン、素描を繰り返し、最小限の要素でモチーフの本質をとらえようとしました。
 彼は50歳代後半から心臓の発作に悩まされ、寒い日は外出を控えるようになりました。そこで、制作の合間の気分転換におもちゃ作りを始めます。材料は、自宅を改修したときの廃材や空き缶、ブリキの切れ端、河原の石ころなど。彼の手に掛かると、予想もしなかった新たな命が吹き込まれます。例えば、小さな木切れが、彼のわずか一筆、二筆で、走り回るイノシシに。ビールの空き缶に目鼻の点を打っただけで、一瞬のうちに表情のある人物に。楽団やサーカス、動物など、躍動感にあふれた作品は250点を超えます。彼が作るおもちゃの最大の特徴は、「生きものたち」であるということ。それらは、表情、動き、しぐさなどが的確で生き生きとし、彼の観察の鋭さ、デッサン力の確かさを物語ります。彼の豊かなイマジネーションと遊び心が生み出したおもちゃは、暗くて重いシベリヤ・シリーズとは対照的に、生きていることの喜びにあふれています。
 香月泰男は1974(昭和49)年、62歳で亡くなりました。彼は生前、建築の勉強をしていた二人の息子の卒業制作に自分の美術館を設計するように頼んだことがありました。1993(平成5)年にその夢が実現し、息子たちが設計した「三隅町立香月美術館」(現在の香月泰男美術館)が開館しました。美術館には自宅のアトリエも復元・移設されており、郷土に生きた画家、香月泰男の素晴らしい作品群に触れることのできる貴重な場所となっています。

※ 香月泰男美術館では、5月25日(日曜日)まで、「<私の>空展」を開催中です。
※ 下関市立美術館では、4月13日(日曜日)まで、「所蔵品展 近代日本画の俊英たち 香月泰男と戦後美術」を開催中です。

取材協力/香月泰男美術館



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