コンテンツ2007年12月28日Vol.132 山口県広報広聴課

おもしろ山口学
やまぐちナツミカン物語

【第1回】ナツミカン発祥の地・山口県

大日比ナツミカン原樹大日比ナツミカン原樹
 花が山口県の県花ともなっている、ナツミカン。夏柑(なつかん)とも呼ばれます。和名をナツダイダイといい、5月中旬に白い花を咲かせます。冬になると実は黄色く色付きますが、樹に実らせたまま年を越させて、酸味と甘味がほどよくなる翌年4月ごろから夏にかけて収穫します。そのため、ナツミカンの名産地である萩を初夏に歩くと、ナツミカンの樹に花と実が同居している風景に出会えることがあります。
 ナツミカンは今では全国の温暖な地域で栽培されていますが、原樹は長門市仙崎大日比(おおひび)にあり、国の史跡及び天然記念物に指定されています。原樹の歴史には諸説あり、中でも江戸時代中ごろ、大日比の海岸に珍しい果実が漂着し、それを地元の女性が拾い、その種を庭先にまいたものが大きくなった、というのが通説となっています。
 ナツミカンの実は色付き始めた冬に食べるには、酸味が強過ぎます。当初、生食用に向かないと考えられたため、主に食酢の代用や観賞用とされていました。形が大きいこともあり「化けダイダイ」とも呼ばれていました。
 では、いつから夏に食べられるようになったのか。萩藩の御用商人だった熊谷(くまや)家の文書には、1831(天保2)年旧暦4月、子どもの生後百十日を祝うお食い初めの客事の献立に「橙(だいだい)=ナツミカン」を出したという記述や、1832(天保3)年には庭の樹になった橙を100個以上贈答用に使ったという記述があり、少なくとも、天保のころには食べられていたようです。また、1857(安政4)年、萩藩の児玉少介(こだま しょうすけ)が夏にたまたま樹に残っていた実を食べたところ、風味が良かったことから、父・惣兵衛(そうべえ)が藩主・毛利敬親(もうり たかちか)に献上。藩主は味を賞賛し、栽培を奨励したという説もあります。
 やがて明治時代になり、萩藩士であった小幡高政(おばた たかまさ)の発想により、「土塀とナツミカン」という萩ならではの風景が形成されていくことになります。

【第2回】城下町・萩のナツミカンと小幡高政

土塀とナツミカン土塀とナツミカン
 城下町・萩は「土塀とナツミカン」の風景が印象的です。この風景は明治維新後、小幡高政(おばた たかまさ)という旧萩藩士の熱い思いから生まれました。
 小幡は幕末、大坂や江戸などの萩藩邸の留守居役(るすいやく)を務め、藩主・毛利敬親(もうり たかちか)の命を受けて朝廷と幕府との間を奔走するなど、多大な功績を上げた人でした。明治維新後は官職に就き、小倉県権令(ごんれい)などを務めましたが、1876(明治9)年、病気の母親を看病するために辞職し、萩へ帰郷しました。
 当時、士族は、秩禄処分(ちつろくしょぶん)※1によって、生活に困窮するようになっていました。その窮状を目の当たりにした小幡は、荒れ始めた武家屋敷の土地の活用を考える中で、夏に味わえる柑きつ、ナツミカンの栽培を思い付きます。そして、士族授産結社「耐久社」を結成し、1878(明治11)年には1万本の苗木を耐久社の社員とともに植え、困窮していた士族にも分け与えます。 果実を栽培して生計をたてるという小幡の発想を、初めは疑い、あざける人もいましたが、次第に彼の熱意に動かされ、武家屋敷の一角を畑にして栽培を始める人が増えていきました。やがて、ナツミカンは広島や大阪などに出荷されると人気を集め、栽培は周辺の地域にも広がり、1888(明治21)年の「山口県農事調査表」によると県全体の生産個数は約75万個、推定約180トン※2に。その後もナツミカンの生産量はさらに増え続け、明治30年代末から大正初めごろにかけて最盛期を迎えます。 
 こうして産業として成立するようになったナツミカン栽培。武家屋敷の土塀は、ナツミカンの実を傷つけたり落としたりする風から守るために残され、「土塀とナツミカン」という城下町・萩ならではの風景を、私たちは今、愛でることができるのです。

※1 秩禄処分
江戸時代に武士に支給されていた家禄を廃止した明治政府の政策のこと。版籍奉還以後、段階的に行われました。

※2 推定約180トン
1個0.24キログラムとして換算

取材協力/萩博物館学芸員 清水満幸(しみず みつゆき)氏


【第3回】ナツミカンの加工品と近年の動き

皮を砂糖漬けにした菓子、「夏みかん丸漬」、ゼリー、マーマレード、ジュースなどナツミカンの加工品
 山口県では、ナツミカンを利用したさまざまな加工品が作られています。中でもよく知られているのが、ナツミカンの皮を砂糖漬けにした菓子です。この菓子は明治時代、萩市の商人・森重正喜によって考案されました。当初は苦味の強いものでしたが、製法を伝授された菓子商たちが苦味の強い上皮をかんなで薄く削り取る工夫を考案するなど改良したことで、萩を代表する特産品となりました。大正時代には、中身をくり抜いて糖蜜で煮込んだナツミカンの皮の中に、白ようかんを流し込んだ菓子も考案されました。
 現在も新しい加工品が誕生しています。県産業技術センターの提案により、萩市にある食酢会社がナツミカンの果汁を利用したドレッシングを昨年から製造しています。また、長門市にある酒造会社は、3種類の麹を使用して製造したクエン酸が多い清酒を、県産業技術センターと共同開発。さらに、これをベースにナツミカンの果汁を混合した低アルコールの辛口系リキュールを、同センターの技術支援を受けて今年の秋から製造しています。
 また、近年、加工品以外でも新しい動きが起きています。2001(平成13)年には、「萩城下町の夏みかんの花」が環境省の「かおり風景100選」に選定されました。その翌年には、萩市平安古(ひやこ)にある、昭和初期に総理大臣を務めた田中義一(たなか ぎいち)の「旧田中別邸」に、「かんきつ公園」がオープンしました。 そこはかつて小幡高政(おばた たかまさ)の屋敷と橙園(とうえん)があった地。園内には小幡が建てた石碑「橙園之記」もあり、ナツミカンが萩の名産になるまでの苦労と喜びが刻まれています。現在、同園には、ナツミカン約100本をはじめとするかんきつ類10種約370本が植えられ、ナツミカンの花が咲く毎年5月には「萩・夏みかんまつり」が開催されます。 ナツミカンの果実やナツミカンを使ったさまざまな加工品の販売が行われ、さわやかな花の香りとともに、ナツミカンに込められた先人たちの思いも伝えてくれます。

取材協力/萩博物館学芸員 清水満幸(しみず みつゆき)氏



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