コンテンツ2006年11月10日Vol.105 山口県広報広聴課

おもしろ山口学
日本のエジソン 藤岡市助

【第1回】エジソンとの出会い

藤岡市助トーマス・エジソン
 竹製フィラメントの電球の発明者は有名なトーマス・エジソンですが、そのエジソンと志を同じくしたのが、岩国市出身の藤岡市助(ふじおか いちすけ)工学博士です。
 藤岡博士とエジソンが対面したのは1884(明治17)年、博士が27歳のときでした。この年、米国で開催された万国電気博覧会に審査官として招待された博士は、エジソンの研究室を訪問しています。発明品を見学し博覧会や電気事業を視察した博士は、電気の将来性に確信を得て「一身を電気事業の創設に捧げたい」と自らの意気込みをエジソンに語ります。これに対して、エジソンは「まず電気機器の製造を手がけ、日本を自給自足の国にしなさい。国の技術を向上させないと、事業を発展させることはできない」と助言。博士は、この話に同意し、その後各種の電気産業を創業するよう、猛烈な啓蒙活動を開始します。
 帰国後、博士は、国や経済界へ電球の実用化・国産化を積極的に働きかけます。1886(明治19)年には、東京電燈株式会社(現・東京電力株式会社)の技師長に招聘(しょうへい)され、大学の教職を離れて白熱電球の研究に取り組みます。さらに1890(明治23)年には、同郷の三吉正一(みよし しょういち)氏とともに合資会社白熱舎(株式会社東芝の前身)を創設し、白熱電球の製造を開始します。電球製造にこぎつけるまでの道のりは決して平坦ではなく、欧米の技術水準にいかに追いつき、追い越すかが至上命題とされ、博士は技術開発に情熱を燃やします。その結果、国産の発熱電球の品質や生産技術は大きく向上したのです。電気や電球をごく当たり前に使える今の生活は、博士が最善を尽くそうとする努力を続けたおかげと言えそうです。

【第2回】藤岡市助の功績

電球
 藤岡博士の功績は電球だけにとどまりません。
 博士は、若いころから非凡な才能を発揮していました。1857(安政4)年に岩国市錦見(にしみ)で生を受けた博士は、16歳で通っていた岩国英国語学所の教師になるほどの秀才で、1875(明治8)年には、旧藩主の勧めで受験した工部省工学寮(現・東京大学工学部)に合格します。その3年後の1878(明治11)年には恩師・エアトンとともに電信中央局開業祝賀晩餐会にて、アーク灯を点火させ、人々の注目を浴びました。
 1888(明治21)年には皇居の電化に取り組み、1890(明治23)年には第3回内国勧業博覧会に白熱電球を出品するなど、博士は数々の功績を残してゆきます。博覧会では、アメリカ外遊の際に持ち帰った電車を改良し、公園内に敷いたレール約400メートルに初めて電車を走らせ、それまで馬車鉄道に乗っていた人々を驚かせます。さらに同年、東京・浅草に建設された凌雲閣(りょううんかく)(高さ66メートル、12階建て)に日本初の電動式エレベーターを設置。1894(明治27)年には、日本初の電車モーターを製作。1903(明治36)年には、東京・有楽町-神田橋の電車開通にこぎつけました。
 「電気鉄道の実現」という、もう一つの夢をかかげ努力を惜しまず鉄道建設の大事業にまい進した博士は、東京-大阪間の高速電気鉄道敷設も計画しています。片道約6時間という夢の構想は、測量までしていたと言いますから、その先見性(せんけんせい)には驚かされます。その後、電気鉄道建設は全国に波及し1909(明治42)年には故郷の岩国にも中国地方で最初の電気鉄道が開通したのです。

※岩国英国語学所
イギリスの中学校と同じ科目を教えていました。

【第3回】故郷・岩国と藤岡市助

いちすけ号
 藤岡博士は、米国照明学会の会員になるなど、国内はもちろん、世界を股にかけた活躍をしていましたが、故郷・岩国のことも決して忘れてはいませんでした。
 1909(明治42)年、地元の要請に応え、岩国電気軌道株式会社と火力発電所を設立。錦見-岩国駅間に中国地方初の電車鉄道を開通させます。翌年には、錦見、横山、川西に電灯を提供し、人々の生活を文字通り明るくしました。
 1918(大正7)年、博士は60歳でこの世を去りますが、その業績は忘れられてはいません。博士が敷設した錦見-岩国駅間の鉄道は、国鉄岩徳線の開業に伴い1929(昭和4)年にその役目を終え、その軌道は一般道路となりましたが、今でも「電車道」という名前が残っています。1999(平成11)年には当時の電車のデザインを模した電車型バス“いちすけ号”が運行を開始。錦帯橋-岩国駅を結ぶレトロバスとして、市民や観光で訪れた人々を楽しませています。
 岩国は河上肇(かわかみ はじめ)や宇野千代(うの ちよ)など数々の著名人、文化人を輩出した地です。その根底には、教育に対する情熱の高さが挙げられます。
 博士が通った岩国英国語学所には、破格の待遇で迎えられた優秀な外国人教師・スティーブンスがいました。彼は、英・仏・独および日本語に通じ、中等教育に携わる教育資格を持っていたようで、授業は全て英語で行い、教科書はイギリスの出版社の本を使用。約8教科を基礎から熱心に指導し、生徒たちに敬愛されていました。
 現在、岩国英国語学所は岩国学校教育資料館として現存しており、その1階にある「藤岡市助コーナー」には、博士が情熱を注いだ「白熱電球」をはじめ、関連資料約3,500点を展示。学校前には、博士が制作したアーク灯を模したデザインの街灯が建っています。訪れた際には、日本の電気事業の発展に力を尽くした藤岡市助博士に、思いをめぐらせてみてはいかがでしょうか。

取材協力/藤岡市助博士顕彰会理事 佐山和郎(さやま かずお)氏


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