コンテンツ2006年8月11日Vol.99山口県広報広聴課

おもしろ山口学
角島灯台物語

【第1回】日本の洋式灯台誕生のきっかけとなった長州藩の「下関事件」

角島灯台
 南国の海のようなコバルトブルーの海と白い砂浜。下関市豊北(ほうほく)町角島(つのしま)は、2000(平成12)年の「角島大橋」の開通以来、その自然豊かな風景で全国に知られるようになりました。その角島の象徴ともいえるのが、明治初期に造られた美しい石造りの「角島灯台」です。明治生まれの現役灯台が全国に67基ある中、国は特に歴史的・文化的価値の高い23基をAランクに定めて保存・整備に努めており、角島灯台はそのうちの1つに当たります。
 日本の洋式灯台の歴史には、山口県(長州藩)との深い関係があります。幕末の1863(文久3)年、長州藩は関門海峡で英・米・仏・蘭の四カ国の艦隊を砲撃します。その「下関事件」の賠償として幕府が四カ国と交わした「江戸条約」及び「大坂条約」の中に、外国船の航海安全を目的とした、全国15カ所(灯船も含む)へのいわゆる「条約灯台」の建設がありました。幕府はフランス人技師F・L・ヴェルニーにその建設を依頼しますが、明治維新で事業は新政府に引き継がれ、1869(明治2)年、ヴェルニーによって神奈川県横須賀市に日本初の洋式灯台「観音埼(かんのんざき)灯台」(現在は3代目)が完成します。
 その後、明治政府は条約灯台の本格的な建設を、イギリスのスティーブンスン社から派遣された技師R・H・ブラントンに委ねて完了させます。同時に灯台の必要性を痛感した明治政府の発注で、主要航路への建設も推進され、その中で角島灯台は日本海側で初の石造りの洋式灯台として1873(明治6)年に設計・着工され、1876(明治9)年に初点灯したのでした。

【第2回】角島灯台と「日本の灯台の父」ブラントン

夜空を照らす角島灯台
 角島灯台が日本海側で初の洋式灯台として誕生したのは、下関から日本海へ向かう船が針路を変える「変針点」という重要な位置に、角島が位置していることが主な理由でした。対馬海峡を航行する外洋船からも灯を認められるよう、角島灯台は巨大な第一等八面フレネルレンズを用いた(現在も当初のレンズ)、高さ29.6メートルの石造りの大型灯台として設計されました。明治政府初のお雇い外国人であり、「日本の灯台の父」と呼ばれる設計者のブラントンにとって、角島灯台はどんな作品だったのでしょう。
 イギリスでは鉄道などの土木技師だった彼は、3カ月間集中的に研修を受けて、1868(明治元)年27歳のとき、スティーブンスン社(以下S社)が作成した灯台の仕様書を携えて来日します。以来、日本で30基の灯台を設計。中でも角島灯台の初点灯は、彼が契約終了で帰国する半月前であることから、日本で実績を重ね、充実した時期に角島灯台は造られたと考えられます。
 また、彼は帰国後、イギリス土木学会誌に日本で設計した灯台4基を発表しています。その中で他の灯台は裁断図であるのに対し、角島灯台は彼が塔頂に入念に施した装飾的な切り込みなど、華麗なデザインが分かる姿図で紹介しています。しかも、多くの灯台は予算や場所などに応じて仕様書を変更しながら建設せざるを得なかった中で、角島灯台は100年以上の歳月にも耐えるようS社の仕様書に最も忠実かつ堅牢に造られています。これらのことから、離日直前の完成であった角島灯台は彼の自信作であると同時に、美しい角島の自然に合う美しい灯台を残せたという思いが彼の心にあったのではと推測したくなるのです。

【第3回】角島の人々に親しまれた灯台長ジョセフ・ディック

ジョセフ・ディック
 角島灯台のそばに小さな洋館があります。その建物は「吏員退息所」として灯台とともに竣工した県内最古のれんが造りの建築物。そこに1877(明治10)年までイギリス人の初代灯台長ウィリアム・ボエルズが、続いて1879(明治12)年までジョセフ・ディックが住み、日本人に灯台守の技術を教えていました。特にディックは角島の人々と親しくしていたようで、彼との交流から灯台にあこがれ、角島灯台長となった人もいました。その人の名は平石 大円(ひらいし だいえん)。島にある浄楽寺(じょうらくじ)で育ち後に住職も務めた人で、ディックが政府との契約終了で島を去った後は、彼愛用の碁盤を保管(現在は角島灯台記念館に展示)し手紙もやりとりしていたようです。
 角島を離れたディックは神戸へ。日本永住を決意し、友人と「ディック・ブルン商会」を設立。その間、日本人女性と結婚し、1913(大正2)年に72歳で亡くなるまで神戸で暮らしました。彼の長女・山本あいさんは後年、父をしのんで「ジョセフ・ディック追想録」を著し、そこに古老の話として「デッキ氏はお歯黒をしていない女性を未婚の女性と心得、軽い冗談を語り好人物であった由、決して悪ふざけやからかったりすることはなく、紳士的であり、オランダ風の屋敷に住(ま)い大きな洋犬一匹を飼っていた」と角島での様子が紹介されています。また、神戸では匿名で軍人遺族の家庭へ米穀類を送ったり、日曜日には家族全員で孤児院をビスケット持参で訪ねたりしていたそうです。
 そんな心優しいディックの在りし日の姿には、現在は「角島灯台記念館」となった吏員退息所で出会えます。船を安全に導くだけでなく、異国との交流の灯もともした灯台は、美しい自然とともに角島の宝。大切に守っていきたいものです。

取材協力/山口県史編さん調査委員・元山口県文書館副館長 戸島昭氏


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