平成17年6月24日号(HTML版)VOL.72
山口県広報広聴課

おもしろ山口学

リレー随筆「長州人気質」 著/松村 久(マツノ書店 店主)

第1回 『維新志士の本』

松下村塾
松下村塾
 私は仕事で毎日、山口県関係の本を売買している。その中で最もよく動き、興味深いのは、維新志士についての本である。今の古本屋から見た彼らの活躍はどうであろうか。
 まず需給共に卓越しているのは吉田松陰(よしだ しょういん)。関係書も多く、それを求める人も後を絶たない。高杉晋作(たかすぎ しんさく)はこのところ新しいファンも増え成長株。その次は木戸孝允(きど たかよし)あたりか。
 探す人は多いのに、残念なことに肝心の本が少ない志士も多い。いずれも早世した上、残された史料が少ない人。久坂玄瑞(くさか げんずい)、吉田稔麿(よしだ としまろ)、大村益次郎(おおむら ますじろう)がその代表といえよう。
 その逆もある。有名な割に本が売れないのは、伊藤博文(いとう ひろぶみ)、山県有朋(やまがた ありとも)、井上馨(いのうえ かおる)などの「長老」である。維新後も長生きして全国的な仕事をたくさんしたので、誰もが知っており、伝記も史料も多すぎ、未知の魅力がないからであろう。
 「周防部出身」も分が悪い。僧月性(げっしょう)、世良修蔵(せら しゅうぞう)ほか人材はたくさんいたのに、なぜか影が薄いのは、萩本藩の閥が大き過ぎたのか。
 「反逆者」の烙印もマイナスである。前原一誠(まえばら いっせい)、赤根武人(あかね たけと)らがそれにあたる。でもなぜか県外からは、彼らの真実を求める声が根強い。
 いずれにせよ、明治維新のころの人材の多様さと豊富さでは、山口県以上に恵まれた県はないのである。



第2回 『月性と月照』

僧月性肖像画 男児志を立てて郷関を出づ/学若し成る無くんば復還らず/骨を埋むる何ぞ期せん墳墓の地/人間到る處青山有り/「男児立志の詩」 月性展示館前庭 訳文より
 周防部の恵まれない志士の中でも、特に県外の研究者から関心を持たれているのは、長州藩明治維新の先駆者にして詩人、教育家、そして憂国の士・僧月性(げっしょう)である。
 剛胆不羈(ごうたんふき)、こよなく酒を愛した僧形の月性が右手に剣を持ち「男児志を立てて郷関を出づ 学若し成る無くんば復還らず・・・人間到る處青山有り」と自作の詩を吟舞する絵は、まさに維新の傑僧として面目躍如たるものがある。
 月性は大畠村(現柳井市)に生まれ、豊前、肥後、京畿に学んだ後、地元妙円寺の住職として私塾時習館を創設。門下生には、大洲鉄然(おおず てつねん)、世良修蔵(せら しゅうぞう)、大楽源太郎(だいらく げんたろう)などがいた。
 僧侶としては珍しく海防問題にも強い関心を寄せ、「海防僧」の異名をとった。また早くから農兵論を主張するなど、吉田松陰も驚くほどの急進的倒幕論を唱えた。
 近代の西本願寺教団は直接間接、月性の感化を受けた人々によってリードされており、宗教界に与えた影響も絶大であった。
 西郷隆盛と入水した清水寺の月照とは全く別人なのに、PR不足のためか、県内でも多くの人がこの二人を混同しているのは、何とも申し訳ない思いである。

※剛胆(ごうたん)… 度胸がすわっていて、ものに動じないこと。肝が太いこと。また、そのさま。
※不羈(ふき)… 物事に束縛されないで行動が自由気ままであること。また、そのさま。



最終回 児玉(こだま)源太郎(げんたろう)

児玉源太郎
写真提供:国立国会図書館
(画像を複製する場合には国立国会図書館の許諾が必要です。)
 今年は日露戦争百周年である。
 日露戦争といえば、陸の乃木(のぎ)大将と海の東郷(とうごう)元帥が知られている。でも実際に陸軍を指揮して戦いを勝利に導いたのは児玉大将であった。古川薫(ふるかわ かおる)氏の『天辺の椅子』や司馬遼太郎(しば りょうたろう)氏の小説で改めて脚光を浴びている。
 児玉は日露戦争の終わった翌年、惜しくも急逝したが、その稀有(けう)の実務能力と合理精神から「彼があと十年生きていれば、日本は変わった…」とよくいわれる。
 旅順攻防の作戦ばかり有名であるが、彼は台湾総督としてもその教育・文化・産業政策に目覚ましい業績を残した。また多忙のなか郷土にも暖かい目を向け、例えば生誕地の徳山(現周南市)に、私財をなげうって私設図書館「児玉文庫」を作るなど、郷土への尽力も惜しまなかった。
 児玉は華々しい業績を上げながら、当時の軍人にしては名誉や地位を気にせず、気さくで威張らず、部下はもちろん飲み屋の女将(おかみ)に至るまで、どこでも周囲の人々に親しまれていたという。
 そのひょうひょうと生きた庶民性からも、温暖な周防部出身を思わせる異色の軍人といえよう。