平成17年2月25日号(HTML版)VOL.64
山口県広報広聴課

おもしろ山口学

リレー随筆「山口弁おもしろ話」 著/森川 信夫(山口県方言研究家)

第1回 『「表の大通り」を「おーかん(往還)」と言うこと』

萩往還(一升谷の石畳)
萩往還(一升谷の石畳)
 「おーかん(往還)」は、「表の大通り。街道。主要道路」というような意の山口弁で、主に高年層を中心に使われています。
 本来この語は、文字通り、「行き帰り。往復。往来」の意を表し、『続日本紀』(709年成立)や『文華秀麗集』(818年成立)などの文献にも見えている、 中央で古くから使われていた言葉です。室町時代末期頃には、本来の意から派生して「通り道。街道」などの意でも用いられるようになりました。現在山口弁として使われている「おーかん(往還)」は、 これが方言化したものです。山口県のほかにも全国各地で、今も分散的に使われています。
 まだ山口県に自家用車があまり普及していなかった40年位前までは、子供たちが道路で遊ぶことも少なくありませんでした。「おーかんであすぶときゃー(表の大通りで遊ぶ時は)、 じどーしゃぇーきゅーつけさんよ(自動車に気を付けなさいよ)」などと、よく大人に言われていたのを思い出します。
 ちなみに山口県には、江戸時代に萩と三田尻(防府)とを結ぶ主要街道であった「萩往還」という史跡も残されています。



第2回 『「フグ(河豚)」を「フク」と言うこと』

 美味で知られる魚「フグ(河豚)」のことを、伝統的な山口弁では「フク」と言います。 若い人の間ではあまり聞かれませんが、老年層においては山口県全域で今も普通に「フク」と発音する人が少なくありません。島根・鳥取・岡山の各県や熊本県の一部などでも、老年層を中心に「フク」が使われています。
 古辞書の『本草和名(ほんぞうわみょう)』(918年頃成立)と『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』(934年頃成立)には、いずれも和名の訓(よ)みが万葉仮名で「布久」と記されています。 また、日本イエズス会長崎学林編の『日葡辞書(にっぽじしょ)』(1603年~1604年成立)には、「Fucu」または「Fucut」というローマ字つづりの見出しに、 「ある魚であって、その中の毒を取り除いて、汁(Xiru)に入れて食べるもの」と、ポルトガル語の語釈が施してあります。これらの例から、古くは中央語で「フク」と発音していたものが後に方言化し、現在に至っていることが分かります。
 「フク」の語源説には諸説がありますが、「怒ると腹が脹れる(フクレル)から」《『和名類聚抄』他》、「腹が脹れて(フクレテ)いるから」《『俚言集覧(りげんしゅうらん)』(1797年頃成立)他》というのが、常識的で妥当かと思われます。
 ちなみに、フグの水揚げ量日本一を誇る下関で昔から「フク」と発音しているのは、幸福の「福」に通じることからだとする説は、いつごろから言われるようになったのかよくわかりませんが、縁起を担いでの言葉遊び(洒落)なのでしょう。



最終回 『「背中や体側をもたせかける」ことを「すがる(縋る)」と言う』

 山口弁では、柱や壁などに「背中や体側をもたせかける、寄りかからせる」ことを、「すがる(縋る)」と言います。
 現在、標準語としての「すがる」は、(1)「頼りとするものにしがみつく。しっかりとつかまって体を支える」(2)「他の人を頼りにする。助力を求めて頼る」ぐらいの意で使われています。 (1)は平安時代の多くの文献に既に見えており、(1)の意から転じた(2)も鎌倉時代には用いられていたことが、『愚管抄(ぐかんしょう)』(1220年成立の史書史論)の使用例などから分かっています。どちらの意も、古くから現在に至るまで、中央語として連綿と通行してきたものです。
 標準語(1)の意の「すがる(縋る)」の用法としては、「つえにすがる」「手すりにすがる」「命綱にすがる」などの例が挙げられます。これらは手を用いており体の向きがほぼ前傾姿勢であるのに対し、山口弁の「すがる(縋る)」は、手を用いない後ろ向き・横向き姿勢を表すものです。 すなわち、柱や壁に「すがる(縋る)」と言う場合、標準語ではそれらに体を向けて前かがみ気味にしがみつくことを意味しますが、山口弁では、柱・壁に背中や体側をもたせかけることを表しているのです。山口弁の「すがる(縋る)」を方言として認識している山口県人は、現在でもごく少数です。
 「うしろのかべーすがって(後ろの壁に寄りかかって)、らくにせちゃーたらえーですいね(くつろいだ姿勢で座られたらいいですよ)」「はぇー(はい)、そねーしましょ(そうしましょう)」などという会話が、日々交わされています。